2013年4月7日日曜日

何度でも (私小説vir.) [前編]



1
[妥協の着地点]

薄暗い朝靄の中。スーツケースを引きずりながら目黒川沿いを歩いている。暖かい春の朝だ。桜もつぼみになり、枯れ枝がほんのり桜色がかっている。また春が来るんだ。何の感慨も無くそう思った。朝日橋の上で立ち止まる。飽きる事なく家具を売り続けて、もうどのくらい経ったかな。15年か。もっと長くやってるような気がする。連綿と続くギブ&テイク。そんな日常に少し疲れたのかもしれない。どこかに妥協の着地地点があるんじゃないのか?最近そう思うようになっている。

2
[翼の両翼]

「渋谷駅新南口」タクシーの運転手に告げる。メールをチェックする。「今日からの東芫出張お気をつけて」社員からのメッセージにため息をつく。中国家具青年部vs日本家具青年部のディスカッション。そんな趣旨で向かう今回の中国出張だけど。3月の繁忙期の留守を支えてくれる社員のみんなに申し訳ない気持ちになる。僕は家具経済同友会の仕事を、ある意味政治活動だと思っている。一方で自社の仕事は経済活動だ。前者に関わる僕の目的は、家具・インテリア産業を日本の主幹産業にするために一翼を担う事。後者は日本初の世界ブランドを自社ブランドで構築する事。それはお互いに相互リンクしていて、その両翼の活動無しではその両者とも達成できないと信じている。しかし、途方もなく長く遠い道であることは確かだ。

3
[陽のあたる場所]

ANAに乗り込み、窓の外をボンヤリと見る。ふと思い出す。「ねぇ。このソファもったいないよね」大学時代、当時付き合っていた彼女が、ゴミ捨て場に捨ててあったソファの前でそう言った。「直せるの?」「裁縫得意だから。うん。このくらいなら大丈夫と思う」二人で同棲していた部屋にそのボロソファを運んだ。フェルトを買ってきて継ぎ接ぎして何とか座れる状態にまで戻した。部屋にソファが入ったから友達を呼びたくなった。人が集まるとみんなでその部屋の巣作りに励んだ。「野田さー、今度ここに本棚作ろうぜ」「いっそこのキッチン塗っちまおうぜ」そんな感じで。大学にも行かず、仲間たちと、そのたまり場で毎日遊んだ。風が気持ちよく抜けて、陽が溜まる部屋だった。毎日が楽しかった。先の事なんてまったく考えなかった。

4
[陽のない空港]

広州空港の空は低く重くたれ込めていた。暗鬱な湿気。饐えた匂い。たくさんの人々。ハイウェイで東芫へ。頭の中で無数の案件がひしめいている。新商品、新店舗、人事、クレーム、決算、従業員の人間関係。それら一つ一つの根っこを辿ると、浮かび上がってくるのはたった一つ。人間の感情だ。あたりまえだ。どんな数式もシステムもすべて人の営みという土台の上に成り立っている。コントロールなんてできっこない。みんなそれぞれの人生の主人公として日々を生きているんだ。それを差配しようなんて驕ってるよ。実際。
 5
[謎の男]

国際家具展示会場の前の大きなホテル。アイクの社員である中国人の宗君が細かい手続きをしてくれた。ロビーのソファに座る。疲れたな。ふと雑踏の人ごみの中にどこかで見たような顔を見つけた。若い日本人だ。誰だっけ。外から生暖かい風が吹きこんでくるのに、どうしてだろう、少し寒気がした。彼も僕を見つけて手を挙げた。近づいて来る。「野田さんですよね」「はい・・あの」「あ、俺のことは知らないと思います。俺は野田さんの事をよく存じ上げてますけど」そう言って彼は人懐っこい笑顔で笑った。自分を「俺」と言う子供っぽさと「存じ上げる」なんて大人っぽい言い回しとのギャップに違和感を覚えた。過去に何度も会っているような・・どこか懐かしい感じもした。「今日は時間がないんです。また明日にでも展示会場で」彼はそそくさと時計を見ながら去っていった。もらった名刺。佐藤健一。うーん。知らないな。

 6
[スタイリューション]

スタイリューションはトンガンに拠点を持つ台湾系の大企業だ。マットレスを作って世界中に販売している。代表のジャック・チェン氏とはその昔、面識があった。今回の展示会に合わせて40周年の記念パーティがあるということで招待されたので出席した。丸テーブルの隣には太陽家具の川崎会長、川崎社長、アイクの長島社長が並んだ。後ろの席にアメリカの家具業界紙Furniture Todayのプレジデントであるケビン・カステラーニ氏がいた。今年10月のアメリカ・ハイポイントでアメリカの家具業界青年部と日本の青年部とでディスカッションしましょうと提案したら、Ok! nice idea !! とケビンはガッツポーズを取ってくれた。やれやれ。と、その瞬間、スタイリューションの社員が壇上に登り社歌を歌い始めた。

7
[No.1]

スタイリューションの社員が膨大な数の顧客を前に、ツーステップを踏みながら、ハイテンポなロック風味の社歌を歌っている。続いてまた違う歌。隣の宗君が「これは商売繁盛の歌ですよ」と教えてくれた「商売繁盛の歌?」面食らって聞き直した。「そうです。みんなで沢山売って幸せになろうよって歌っています」「いっぱい売って幸せになる・・」呆然とした。中国語は分からない。でも巨大モニターに映る社員たちはみんな人差し指を空に突き出してNo.1No1.と連呼している。なぜか少し不快な気持ちになった。当時の民主党、蓮舫議員が口にした「No.2ではいけないのでしょうか」という言葉をふと思い出した。と・・「かーっ!! いいじゃないっすか。やっぱ目指すはNo1.っすよ」急に後ろで声がした。佐藤賢一が立っていた。頭がクラっとした。

 8
[フラッシュバック]

「家具好きなんだね。そんなに真剣になってるの初めて見た」継ぎ接ぎのフェルトが足りなくなったので、僕らは川崎のユザワヤに来ていた。この布地は加工したらカーテンにできるかなー? 売り場ではしゃいでいたらそう言われた。「・・そうかもなー」この数日ずっと考えてたことだった。「あのさ俺、大学卒業したら家具屋になりたいかも」「えーいいじゃん、絶対向いてるよ。へー、かっこいいねぇ」「でさ・・家具屋になったら・・」あれ?そのあと何て言ったんだっけな・・・。

9
[未来の話]

「ねー野田さん?」佐藤賢一に肩を叩かれて我に返った。「明日時間取れます?」「うん。いいけど」「やった」「何の話?」佐藤賢一がニコニコして僕を見ている。なんだろう。売り込みではなさそうだし。「僕と野田さんが話す話なんて一つに決まってるじゃないですか」「??」「未来の話っすよ」こともなげに彼は言った。未来の話?「未来の話をしましょう」再度そう言って彼は自分の席に戻った。あの席はどこだ、大塚があっちで、東京インテリアがこっち。佐藤賢一は隣の中国人と仲良さげに話をしている。彼は一体何者だ?僕は釈然としないまま、壇上に視線を戻した。スタイリューションの社員はまだ壇上で例の歌を歌っていた。目の焦点がぼやける。

そうだ思い出した。あの時の自分の台詞を。家具屋になったら・・。

「俺は世界一を目指す」

そう言ったんだっけ。

(後半に続く)