2015年4月30日木曜日

出世のノウハウ


出世に必要なノウハウってなんだろう。

「企業内の出世に必要なことってなんですか?」新橋のSL前でサラリーマンたちに聞いたら、きっと「仕事が出来る人が出世する」と答えが帰ってくるんでしょう。経理なら経理の技術。営業なら営業のスキル。デザイン開発ならデザインの才能。「だからがんばってみんな努力しているんです」

そうかな・・。

僕は僕の周りの出世した人を見るにあたり、そこだけじゃないんじゃないかな、と考えています。僕はメーカーのサラリーマン時代を経てその後独立し、今こうしてインテリアショップの代表取締役をしています。その決して短くない仕事人生の中で、その昔、僕を通り越して出世した人たちから今まさに、当社で出世しようとしている人たちを見るにつけ、出世に大事なスキルとは以下のようなモノではないかと考えています。

1. 出世したい人
 
・・これは最低条件ですね。

2. その分野に必要充分な知識、スキルを身につけている人
 
・・最低限以上という所がポイント。もちろん最高のスキルがあるにこしたことはないです。しかし、そこまで無くても以下のスキルで補えます。

3. 会社が無視できない組織人脈を会社の内外に持っている人
 
・・ここは非常にデリケートかつ大事な所だと思います。注目すべきは「無視できない」という部分です。仲間内で飲み会を開いてそれだけを組織と言っても、まず無視されます。会社に有効的な施策の実行と成果が必要だということですね。

4. その組織的人脈を個人ではなく自社(世の中)のために有効に使える人
 
・・個人的に組織を使うという誘惑に負ける人はまず組織から弾き出されます。むしろ敵視されて潰されますね。また、そんなつもりもないのに上や周囲の勘ぐりを受けて、社内の不意打ち打撃を斜め後ろから食らってしまうケースも多々あります。ちなみに家康という人はこれを避ける天才だったのだと思います。伊藤博文も同じ。ホリエモンとかは逆ですね。まあ非常に日本的な配慮だということです。

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会社・・社会と言い換えてもいいと思うけど、理想的な組織の有効関係というのは、基本的に相互補完関係で成り立ちます。社長の出来ないことをその他役員がこなし、そこがフォローしきれないディテール部分を部長たちがこなし・・以下末端まで補完し続けて行く。それが理想の組織です。

その中でグイグイ上に上がってくる人は、自分の出来ない能力を他人に委ねて尚かつその人たちをコントロールし、結果、部門の成果を出す人たちです。それを会社に還元できればまず間違いなく出世するでしょう。逆に言えばその人が万能だったり、組織人脈を維持できない人は出世できないということなのでしょう。

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というわけで出世したい皆さん!!

まずはその部門の発展に必要な施策の立案をしましょう。次にそのメンバーを社内外の名刺からピックアップ。上司に施策の根回し。後ろ盾をもらったら、通常業務以外の時間(朝、夜、休日)を使って施策の行動(業務時間以外を使わなければ出世などできるわけがないです)。成果が出ると確信したら、成果を出す直前に、またまた上司に他意はないよという根回し。それでもちょっと不安ならそのまた上の上司にも根回し。結果のお披露目はしっかり演出。もらった褒美(給料・地位など)の内6割は手伝ってくれたメンバーに返す。

こんな流れで今すぐDo it !!です。

いずれにせよ。

がんばれ日本のサラリーマン。
僕らの仕事で世界は回っているのだ!!


2015年4月28日火曜日

厭世のジャコビアン


1603年。
日本において徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開いたこの年に、遠くイギリスではイングランド・ルネサンスが最盛期を迎えていた。エリザベス1世の死後、英国王位を継承したジェームズ1(在位1603-1635)の治世において盛行した美術様式がジャコビアン様式である。

先行したエリザベス様式を受け継いだ形で発展したジャコビアン様式(ジェームズ=ヤコブ→ジェイコブ)は、神の身もと・・即ち天に向かう垂直的なゴシック様式と古典古代の装飾の混在に特徴を持つ。この様式は、17世紀という希有な時代(大航海時代から後の産業革命に至る人類の大発展の時代)の渦中に生まれた。つまり、急激な人類の進歩に対する、ある種の厭世観が生んだ懐古主義的な様式美、いわばカウンターカルチャーであると言える。(cf : 20C.の月面進出や度重なる戦争を厭世するヒッピー文化など) 

また、ジャコビアン様式の家具は、前時代より引き継がれた重厚なゴシックモチーフに加えて、中世インテリア美術史の中でも珍しい幾何学の紋様が連続で現れるのが特徴である。材は主にオークが用いられ、時折ヨーロピアンウォールナット、チェストナットが使われた。

インテリアブランドAREAの主たるデザインはゴシックパターンからの着想が多いが、このジャコビアンのデザインを表現しているのがRIPE(ライプ)シリーズである。中でもそのエッセンスを色濃く現しているのがSide Board RIPE(写真)であろう。前扉の無垢材のHexagon(六角形)はルビーを現し、鏡の中に浮かぶ宝石と見立ててデザインされている。広島府中市の家具職人により精巧に組み上げられたこのサイドボードは、数百年規模の経年変化に耐え得る剛性を持っている。まさに一族の財産となるべきリビングボードである。

Side board PIPE
W 2130 D 512 H 700
1.210.000(フルサイズ特注可能)
design *Go Noda
製作期間3ヶ月


2015年4月23日木曜日

政治とはなんだ?


2015.4.21

町村衆院議長の体調不良を受け、大島理森氏がそのポストに入った。そして空席となった衆院予算委員長の席に着いたのが、元官房長官の河村建夫氏だ。ニュースの顔写真を見て、僕は再び両手をギュッと握りしめた。

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3年前。
2012.6.8

上海。
僕は家具経済同友会の日中家具業界青年部交流会の代表として、その会合にいた。交流会自体はさんざんな結果だった。中国青年部の代表たちは、自社の商品をどう日本の売り込むかに終止し、文化交流および創造という根幹の話まで到達できなかったのだ。僕が事前に用意していた文化面におけるルール作り、モラル整備、そこから発展させる商交流やウェブ共同開発までを綴った構想の下書きは全部徒労に終わった。通訳が良くなかったのか、そもそも準備段階で団体同士の意思疎通が上手くいっていなかったのか、今になって言えば、それはもうどうでもいい話だ。

しかし、その時、僕にはもう一つの思惑があった。自民党の選挙対策委員長、河村建夫氏が顔を出すという情報を掴んでいたからだ。

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11年前。
2004.12

茅ヶ崎。
駅前でチラシ配りをした帰り、ヘトヘトになった僕ら3人はアスクルの回転チェアに座ってボヘーっとしていた。

ナツ「ねえ、とりあえずお店はできたけど、この先どうするの?」
僕 「わかんねー」
金澤「わかってる?こんな店、いつ潰れてもおかしくないんだよ」

AREA一号店。5坪の店。俺たちの夢。借金だらけで明日の金すらない。

僕 「日本のカッシーナ、そんなブランドになりたい」
金澤「はあ・・?」
ナツ「なりたいー」
僕 「あのな、いろいろ調べたんだけどな、カッシーナって・・」
ナツ「うんうん」
僕 「当時の国策に乗ったんだってさ」
金澤「ふーん」
僕 「当時イタリアがな、車もだめ、農業生産物も頭打ち。で、これからの製造業はデザインしかありえない、デザイン事業を発展させて輸出しようって」
ナツ「ふむふむ」
僕 「建築は輸出できない。だったらインテリアだろってさ。んで、バシャバシャその筋にお金を落とした」
ナツ「お、お金をバシャバシャ・・」
僕 「そう。だから、現在のイタリアブランド家具があるんだな。今、日本の予算細目には家具部門がないんだよ。[建築その他]に入っていて、まあ、それじゃお金は落ちてこないよな」
金澤「トヨタ、ホンダ、ソニーがあるから困ってないってことね」
僕 「うん。けど、戦後レジュームブランドは長続きしない。だからこれからは家具なんだよ、日本は。家具って言っても高級家具な。だから俺たちがその時代の一翼を担うのさ」
金澤「一翼ねー」

近所の不動産屋の女社長には「野田大砲」と言ってよくからかわれた。大きなことばっかり言うからだ。誇大妄想狂。それはそうだろう。なんせ、あの時、僕らは明日のお金すら持っていなかったのだから。あるのは、たった5坪のお店一店舗だけだった。

金澤「だったらお店を大きくしないとね」
ナツ「そうだね」
僕 「うん。だけど大きくなるということはマスに売るということだから、AREAの価格帯では売り切れないよ。島忠とか大正堂の形態を取らないと結局売上高は大きく上がらないだろうね」

思えば、当時サムソンは謎の安物家電メーカーだった。中国製品なんて単なる粗悪品だったし、誰もニトリを知らなかった。でもその当時から僕らの方向性はハッキリ違っていた。高級路線だ。売ればいいってものじゃない。何を売るかだ。デフレ状況下では非常に苦しい選択肢だったと思う。

ナツ「やだ。そんなんならやらない方がましだよ」
金澤「うん」
僕 「うん俺もやだ。その形態が悪いわけではないけど、もうすでにある形態をなぞってもしょうがないよ。そもそも俺らは安い家具なんて興味がない。だから、高級ブランドを維持しながら、会社を大きくする方法を考えてんだよ」
ナツ「うん。考えよう」

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国策というのは何か?その本質はお金だけではない。お金だけだったら経産省や国交省の補助金にでもぶら下がっていたらいい。国策とは、その予算配分なりを方向性から決めるルールそのものなのだ。そして国策に参加するということはそのルールを作る側に回るということなのだ。それができればこの国の家具の偏差値を大きく上げることができるかもしれないじゃないか。

かつてのイタリアのように、国策を引き出すためにはそれを運営している人間(政官)を巻き込まなければいけない。経団連に加盟するくらいに自社を大きくしなければ、それは叶わないのだろうか。

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僕 「例えば家具業界にお偉いさんが集まる円卓があるとする。そこからなんとかならないかな。つまり政治家に近づく機会を作って、陳情するんだよ」
ナツ「そんな団体聞いたことないなー」
僕 「きっとあるよ。俺はそこに入りたいな」
金澤「それは政治だよ」
僕 「政治だね」
金澤「政治はやだなー」
ナツ「え?立候補するの?」
僕 「違うってこの業界の政治。うん、でもやめとくわ」

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その後、僕らの会社はトントン拍子に大きくなっていった。
忙しい毎日が過ぎて行く。

政治。国策。
それでもこの単語は僕の頭から離れることがなかった。

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そして、
僕は数奇なルートから家具経済同友会という家具経済団体に入ることになる。

僕がI+STYLERSの社長(兼AREA社長)時代、その株主であった福井のメーカーの小林社長(マルイチセーリングの現会長)にフランスベッド社長を紹介された。「野田君さー、家具なんかだめだよー、売れる時代じゃないよな。国策?大きなこと言ってんねー。そんなにやりたいならさー口聞いてやるよ。家具経済同友会って知ってる?」隣にいた合力部長にヒソッと耳打ちされた。「やけに気に入られたね」

あった。
ナツ、金澤。
お偉いさんが集まる円卓があったぞ。
そしてその入り口を・・。
今、掴んだぞ・・・。

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政治と経済。つまり、業界に置ける政治活動と自社事業は僕の仕事の両輪だ。しかし家具経済同友会の活動をこのブログで言及しない。同友会は同友会でたくさんの問題を抱えている。それは、ブログに書いていいものかどうかの、モラルギリギリに位置する問題なのだ。しかし、いずれどこかでお話をしたいとは思っている。

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4年前。
2011.7.31

僕は朝のTVニュースに釘付けになっていた。
タイの大洪水の映像。
タイの国民に心を痛めた。
が、
釘付けになった理由はそこではなかった。

水没する大量の日本車。

前後の意味なんてない。
僕は本能的に思った。
汗ばんだ手をギュッと握りしめた。

「もう車じゃない。日本は車や家電だけじゃだめだ」

家具だ。
家具を国策の柱にするんだ。

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偏差値についてもう少し書く。

日本の家具流通高は約2兆円。そのうち3000億以上がニトリ一社の売上高で、日本のシェアの15%以上を占めている。定義は難しいが、日本人の家具偏差値があるとしたら、ニトリがその偏差値50に位置するということになる。つまり大まかに言えば、日本人の家具概念はイコール、ニトリなのだ。

別にニトリが悪いわけではない。しかし、その真逆に位置していて、綱引き相手になる高級家具屋はどこに行った?大塚はメーカー商品仕入れ型の販売店だ。つまり、オリジナルブランドではなく、単なるメーカーの拡声器だ。ちなみにメーカー本体がレベルの高い自社商品を用いて海外で成功している例はいくつかある。山中社長(マルニ)の「Hiroshima」がいい例だ。現地でのB to Cのノウハウがまだ足りないが、きっと今後も大きくなって行くことだろう。

しかし・・自社開発商品を擁する高級販売店ブランドはどこにある?百貨店は未だにABC(アルフレックス、B&B、カッシーナ)だ。そこに対抗できる日本のブランドを一刻も早く作らなくてはいけない。そう考えたらACTUSやAREAやTime & の類いが世界に出て行くしかないだろう。

イタリア人全てがカッシーナを使っているわけではない。フランス人全員がロッシュボボアを使っているわけではない。多くはIKEAを使っているだろう。しかし、例えば、ソファの値段って普通いくらする?という規定値観念は日本に比べて桁違いに高い。もちろんこの考え方は家具の値段が高ければいいという考え方だけで結論づけているのではない。しかし、良い家具は良い素材、作り、デザインに支えられている。値段の高い家具が全て良質な家具であるわけではないが、良質な家具はすべからく値段が高いのである。僕は、この点における日本人の審美眼を、もっと上方に高めたいのだ。

これも僕の誇大妄想なのだろうか?

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再び・・3年前。
2012.6.8

河村健夫がSPやその他取り巻きと距離を取った。
背中がビリッと震えた。
ずっとそのチャンスを伺っていた。

「やめなさい。不謹慎だ。会長の頭越しに・・・」

隣の男(誰とは書きません。本人様、読んでいたらすみません)が僕の肩を掴んだ。僕は掴まれた腕を乱暴に振ってその男を睨んだ。その業界の重鎮は黙って目を逸らせた。あるジャーナリストには僕のiPhoneを渡してあった。その人に目配せをする。その人が遠くで頷いた。席を立った。人をかき分けて、僕は河村氏の前に立った。

「家具経済同友会理事・青年部会長の野田と申します。少しお話を聞いてください」
「はい。もちろんですよ」
河村氏はニコニコと応じてくれた。

「僕は日本の経済発展のために家具を国策の柱にするべきだと思っています。輸出ができて、日本の文化デザインを多く含み、なおかつ車並みの一台単価を持つもの。そのようなモノはなかなか存在しないのではないでしょうか。富士山、芸者のような郷愁のお土産品ではないMade in Japan、例えばレクサスのような高価なプロダクトを作ってアジア欧米に販売したいと思っています。僕はその家具という国策の柱作りに有識者として参加したい」

茅ヶ崎でナツと金澤によもやま話をしてから8年間、僕はずっと考えてきた。頭の中で何度も推敲してきた。淀みない言葉がどんどん出てきた。河村氏はその勢いにちょっとビックリしたようだったが、だんだん前のめりになってきた。一通り話しを聞いたあとこう言った。

「おっしゃる通りだ。ぜひやりましょう」

がんばってくださいではない。
やりましょうと言ってくれた。

そして、その場で実に細かい戦略を伝授していただいた。ここには書けないことばかりだが。

そして、最後に河村氏は秘書を呼んで、こう言った。

「官僚の若手との勉強会を取り持ってください。この人には何かある」

手を差し出されて、僕はその手を握った。

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何かある・・。
河村氏が言った言葉は選挙対策委員長として言ったのか、社交辞令で言ってくれたのか、本心でそう言ってくれたのかは知らない。元官房長官に「この人には何ある」と言われればそりゃ誰だって嬉しい。でも本質的には、そんな事はどうでもいい。僕個人が何かなんて関係ない。僕に取って大事なのは、自分のゴールに至る道にあるドアがまた一つ開いたという事実だった。

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その後太田昭宏大臣とも交流持つに至り、今、僕の政治活動は一歩一歩進んでいる。この詳細も書けないが、家具経済同友会からも外れて進んでいるその施策は、日本家具業界の未来にとって、いずれ大きく形になっていくだろう。

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最後に、僕がここで訴えたいことをもう一度繰り返しておきたい。

僕は
「国産家具を日本の国策の柱にしたい」

そうすることで、一企業ではなし得ない大きな流れをこの国に作りたい。上質な家具文化をこの国に浸透させたい。海外の人々に、その家具を通して日本という国のハイクォリティな文化を知ってもらいたい。そしてその結果として、僕たちや僕たちと同じ意思を共にする同業他社の連合で、世界ビジネスを成功させたい。

はあ。また長々と書いてしまったな・・。


これを読んでくれている皆様にお願いがあります。

AREAファンの皆様。
POLISファンの皆様。
家具メーカーの皆様。
同業販売店の皆様。
当社社員のみんな。

「僕に力を貸して下さい」

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金澤「それは政治だよ」
僕 「政治だね」
金澤「政治はやだなー」
ナツ「え?立候補するの?」
僕 「違うってこの業界の政治。うん、でもやめとくわ」

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政治とはなんだ?

今日も僕はそんなことを考えて自分の分厚い手を見つめる。もうすでに政治にドップリ浸かっている自分の両手を。

「やるよ。やるさ。」

もう誰にも任せない。
僕がやる。













2015年4月20日月曜日

脳内円卓会議


分厚いオーク材のドア。
その前で深呼吸。
ノブを掴む手前で一瞬ためらう。
・・が、つかむ。
開ける。

ガチャリ。
「失礼しますっ !」

腰までお辞儀。
顔を上げると、すでにお歴々はめいめいの格好で僕を待っていた。大きな丸テーブルに4人。足をテーブルに上げて腕組みするもの。耳をほじるもの。猛獣のような笑みでニヤニヤするもの。ふてくされたように頬杖つくもの。いつもの面々。

フル出席だ。
手が汗ばむ。

教育係長「おー。で?今日の議題は?」

横浜所長「こっちは忙しいんだからよ」

水戸所長「んだよ、グダグダすっなよ」

家具屋社長「・・・」

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僕はサラリーマンでした。いわゆる帝王学的な教育を受けていません。だから小さい会社でも親父の背中を見て育ってきた2代目や3代目の社長さんを見て、羨ましいな、と思うことがたびたびあります。

創業者というのは、きっと何らか特殊な人たちなのだと思います。それは、単純に優れているというのではなく、偏執的なまでに満足を得られない人だったり、異常に粘り強い人だったりという意味で特殊なのです。頭がいいというのとはちょっと違いますね。むしろある意味、頭が悪い人の方が多いんじゃないかな。でもその分タフですね。しかし、というか、だから、前例のない難局の突発的な対処にはちょっと弱い側面があります。

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「・・といわけで、同業他社が当社の本丸事業にあたる・・・の競合部署を新設いたしまして・・・対抗案として・・・・で行こうと考えております。過去の数値データ、新規事業案、人事構想はお手元の計画書の・・・そして最後のページに本件にかかる費用、稟議書を添付してあります」

教育係長「お前、バカのくせにこういうの作るのはうまいんだよな。だけどな、この新規事業案な、インパクトが足りないんだよ。インパクト。分かる?結局仕事なんてインパクトだぞ?」

横浜所長「やってみりゃええ。が、ちと待て。お前根回しをしたか?俺らじゃねーッ、部下の根回ししたかって聞いてんだよ?あ?そうか・・じゃあメーカーは?・・てめー広島しっかりおさえてんのか?こっちゃ奴らの動き全部耳に入ってんだよ。人だいじにせー人を!!」

水戸所長「あよ、おめ頭だいじけ?はあ、いつも言ってっぺよ。こんページのここ、数字があめーんだよ。ほんとにきくじゃねーきこだな、あ?でれすけがっっ。過去数字うっちゃんな。そこだけはきーつけー。ほかは・・はあ・・まあよがっぺよ」

家具屋社長「これはだめだな。何から何までだめだ。考えが足りない。チャラっと上を撫でてる報告書だな。もっと考えるといい。いいか・・考えて考えてこれでいいと思っても、もう一度考えろ」

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そして創業者に圧倒的に足りないもの。それは上司です。確かに事業継承者だって社長となれば、その上に上司はいませんね。でも、先代の部下が番頭として残っていたり、なによりも過去に積み重ねた知識が上司の代わりに難局を指南してくれたりします。

その昔、難局に頭を抱えて、誰にも相談できないことがありました。その時、僕はふとある方法を思いついたのです。

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そうだ。
過去の上司に相談しよう。
脳内会議だ!

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自慢ではないが僕ほど優秀な上司に恵まれた人はいないんじゃないかと思う時があります。そして、数いる上司の内、ある4人は、はっきりいって苛烈激烈変人上司たちで、今考えてもみな戦国大名並みに迫力がありました。仕事とあれば三度の飯や女房子供を文字通り忘れ去ることができる人たち。まあ、それを賛美しているわけではないんですが。

僕は、あまりにも濃い時間を彼らと過ごしたので、脳内で何かを問いかけると、彼らはまるで今ここにいるかのように鮮烈に喋り始めます。過去のさまざまな体験で、それぞれが何を言うか、どんな反応を示すか、大抵想像がつくということですね。それはいい、とか、ここがダメだとか。そして、たいてい叱られます。

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「えー、先日の会議における事案の報告なんですけど・・・・という形で難局は乗り越えることができました。しかも事業推移は前にも増して好調に伸びており、今期は・・・」

教育係長「良かったじゃねーか。俺のおかげだな」

横浜所長「あほ。嬉しそうな顔してんじゃねーよ」

水戸所長「ふん。あーけったりー」

家具屋社長「次だ、次。終わったら次」

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はは。
ありがとうございます。

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おわり。

2015年4月17日金曜日

にぎやかな田舎山道


田舎に来て山道などを歩くと、たくさんの樹木に出会う。それらは一般の人にとっては全部が単なる「木」だが、僕らはその道の人間なので、だいたいわかってしまう。

わかるというのはつまり、まず種目属、樹齢、性質、そこに寄る虫、動物。そこから推察する気候風土、人々の暮らし、次に材料の特質、曲げ、削除、割れ、反りなどの特性、そこから推察される家具の構造、デザイン、最後に継ぎ接ぎの方法接着剤の相性、また、木質杢理に合わせるファブリックなどの異素材のマッチング論などだ。ふう。

知識がにぎやかすぎて、もう山の風景なんて見えなくなって、山手線の渋谷駅にいる時みたいに、頭がキーンって痛くなることもある。

そういう時は1度目を閉じてデザインの事を考える。学術を無視したデザインの可能性を。

ケヤキの聳え、山桜の枝ぶり、沢胡桃の表皮、楡の頑丈、ブナの高貴。

例えばテーブル。

雛団扇楓のするり青空へ伸びる幹の流れと多少儚い枝ぶりなどの象形をそのまま映すようにデザインをできないかな。

そのテーブルを見た時、誰もがその木の立っている姿をブワッと思い起こしてしまうようなデザイン。

脚の4本は全部違う形状なのだろうか?天板の形や厚みは?風に揺れるあの枝ぶりをどこで表現しよう?

それはアートだよ。誰かの声が聞こえてくる。そうなんです。僕はアーティストではない。ちゃんと自重してますよ。

でもね、知識を積めば積むほど、それらが疎ましく思えてくるものです。販売すればするほど、その目的以外のなにかを作りたくなるのですね。

やりませんけどね。
…。
…。

2015年4月14日火曜日

椅子のことわり1 (孟の章)


B.C.540年
戦国春秋時代。

魯国の青年「孟」は頭を抱えて悩んでいた。

昨日の晩、宮中の晩餐会で美しい女に袖を引かれ、ついて行ってみるとそこは君主様の謁見室だった。布越しには魯公様( 魯国*BC1055~249・・現在の山東省南部)(25代君主*昭公)様がお座りになっていて、おっしゃるには「貴公は常々この世に作れない椅子はないと国中に言い放っているようだが、それはとても興味を引かれることだ。その話に聞き及び我も我の椅子が欲しくなった。そちが我の椅子を作れ」左右の手を前に出し、互いの袖に互いの手を差し込んだ格好の孟。おそれ平伏したままこう尋ねた。「どのような椅子をご所望でございますか」しばらくの無言の後、御簾の向こうから「象が乗っても壊れず、我が座すとたちまち気品の漂う椅子がよい」と声がした。「かしこまりました。そのような椅子をまさに作ってご覧に入れましょう」謁見室を出る際、側女が孟に耳打ちをした「昭公様はお腰がお悪い。その段もお含み置きを・・」と言って艶然と笑い、部屋の内へと戻って行った。孟は世継ぎの無い我が君をひそかに振り返り、人知れず冷や汗をかいた。

言ってみたものの孟には何の想像もつかなかった。「象が座っても壊れず、座る者に気品を与え、腰の痛みを和らげる椅子」なんと難しい注文か。孟はまず気品とは何かを考えた。線の細く流麗な形。伝説の白龍のような姿か。しかしその構造に象が乗るのだ。森羅万象の絵図でもあるまいし、流線はたちまち見るも無惨に壊れてしまうだろう。また、腰の痛みを取る椅子とは何か。灸針でも仕込むしかないのか・・。うむ、困ったことだ。ちらりと家の外を見る。戸口で赤犬が死んでいた。魯公様のご勘気に触れたら自分もあっと言う間にあのような骨を晒した姿に成り果てるだろう。

ふらふらと村をさまよう孟の頭にふと光明が射す。気狂い「丘」(キュウ)の顔を思い出したからだ。言葉の喋れないその少年は、暇があると孟の工房を訪れては、黙って孟の作業をじっと見つめ、時々孟の側にやってくると、地面に何やら幾何学的な線を書く。それは孟の知らない革新的な構造だったり、見たことのない刃物の形状だったりする。村人は丘の奇怪な行動に眉をひそめ口々に気狂いの子とあざけるが、孟はそのようには思っていなかった。むしろとんでもない神の子かもしれないと密やかに感じ入っていたのだった。今の時分なら郊外の山の麓にいるだろう。孟は早速山の麓に向かった。

果たして丘は山道の入り口にいた。木の枝を引っ張っては弾く遊びに夢中になっている。まだまだ子供よ。孟は丘の前掛けの後ろをつまんで声をかけた。魯王昭公の無理難題を説明する。丘はしばらく孟の話を聞いていたかと思ったら、孟の手を取ってやおら走り始めた。そして山中の北斜面に立ち止まり、ある立ち木を指差した。激しく息を往生させながら孟は尋ねた。「この木を使えというのか?」見るに細く華奢な木であった。孟は大きくかぶりを振った。「こんな華奢な木ではだめだ。象が乗ったら壊れてしまう」丘は首を激しく振った。孟はやむなく腰の山刀を取り出し幹に当てた。ところが引けども引けどもなかなか切れない。丘はニコニコ笑っている。数刻をかけて切断したその木の小口を見て仰天した。細い直径の中にビッシリと年輪が詰まっていたのだ。数十年いや・・数百年はあろうか。試しに腕の中で反らせてみた。固いそしてしなやかだ。「こ、これは」孟の絶句に丘が答えた。「凰花梨です」孟はふたたび仰天した。「丘が喋った・・」これを見て丘は「吾十有五にして学に志す。故に必要無きこと必要無し」と言って笑った。喋ることすら忘れ、勉学に没頭する少年「丘」・・。後の「孔子」である。

凰花梨を削り椅子を仕上げて行く孟。細く流麗な椅子が出来上がる。「丘よ見よ! この美しさと強さが同居するさまを。強さと美しさ、我々はその相反する世の理を克服したのだ」丘が嬉しそうにその椅子に座る。しかしすぐに顔をしかめる。孟に座ってみよという。孟も座って顔をしかめた。「腰の据わりが悪い・・・これでは腰の痛みで昭公様がお跡継ぎを作れない」

2人はじっと考え込んだ。腰。腰。腰。腰。すると丘がパッと顔を輝かせた。戸口の方へ走り出す。そして戸口の赤犬の死体を引きずって戻ってきた。「これこれ丘よ。気でも触れたか。それともこのような姿になることを覚悟せいと言う意味か?」丘は首を振って犬の躯に手を入れた。「よさぬか。これ丘よ」丘は犬の背骨をずるりと引き出し、椅子に立てかけた。孟の頭に落雷が落ちた。そうか。骨か。孟は丘から背骨を引き取ると何度も頷いた。椅子に腰をかけるのは肉ではない。骨なのだ。人の構造は骨にて成り立つ。つまり骨こそ椅子が支えるべき相対物なのだ。「丘、役人に言って死体見聞をさせてもらおう。なに、魯公様のお仕事だ。誰も何も言わんさ」背骨の平均値で削り出された背板を椅子の背に組み込んだ。隅木に当代流行の紋様を配し、ついにその椅子は完成した。孟と丘は抱き合って喜んだ。

魯王昭公はその椅子をいたく気に入り、その後、孟に自ら「班」という名前を与えている。魯国・・いや中国の伝説、木工の神「魯班」の誕生である。

この椅子の理屈と真理はこの数千年後、ふたたび明の時代に花開くことになる。そしてそれにとどまらず、シルクロードを通り、シノワズリという流行に乗って、ヨーロッパ中を激震させ、北欧へと流れて行く。北欧・・デンマーク。そう、魯班のことわりは、望久の時を経て、またもう一人の天才の手に渡るのだ。

A.D.1900年初頭。
とある展覧会。
一人の男が、中国から流れてきた圏椅(「クァン・イ」 通称チャイニーズチェア)という椅子の前で、せわしなくアゴを撫でている。「素晴らしい・・これは・・なんという椅子だ。まったくもってこれは奇跡だ。奇跡の椅子だ」閉館時間ギリギリまでその椅子の周りをグルグルとまわり驚嘆と好奇で感じ入るこの男。

H.J.ウェグナーである。



2015年4月13日月曜日

業界特化型のポータルサイト


家具屋・インテリア業界を三つに分けてみます。

いくつか分け方はあると思いますが。
メーカーと問屋と販売店ですね。

問屋の機能を持っている販売店とか販売直営店を持っているメーカーとか実はさまざまありますけど、それはちょっと端折ります。

次にアパレルの業界を三つに分けてみます。

メーカーと問屋と販売店と・・・

実は相当大事な役割を果たしている「メディア」という存在があります。ネットも紙もわんさかあります。

家具インテリア業界は報道系のメディアも商業系のメディアも非常に少ないのが現状です。もちろん、まったくないわけではないですね。業界報道系の「ホームリビング」商業系は「プラスワンリビング」・・・「モダンリビング」や「アイムホーム」は建築系かな。(半々かな)。ネット系だとリクルートの「タブルーム」を最近見ますね。でも・・よその業界と比べると、どうひいき目に見ても差がありますね。

ネットをベースにした紙媒体も混合の狭義特化型のポータルサイトを作ってみたいなあ。商業的というよりはわりと公平なものですね。みなさんもそんなサイトがあったら家具選びが楽しくなりますよね。昔から僕はやりたいんですけど、本業があるのでなかなか手を出せないのです。というより、僕がやったらだめですね。メーカーや販売店という当事者が作っても眉唾じゃないですか。結局我田引水してるんじゃないのって・・なりますよね。というよりそうなる自信が僕自身ありますので・・・わはは。

セブン&アイに企画を持って行ってみようかな。
オムニと絡めていかがですか?って。
だめか。商業者に持って行っても同じか。

なーんて。

今まさにその企画書を作っています。
持ち込み先は秘密ですが。

どなたかご一緒しませんか?










2015年4月11日土曜日

風の強い日おめでとう


家具業界の会合に来ていた。目の前では東京インテリアの社長が業界の未来について、とある想定を熱く語っている。そこにフランスベッドの社長の合いの手が入り、太陽家具の会長や広島府中、飛騨高山のメーカー連の意見が飛び交う。少子化、異業種および外国資本参入。これからの時代の逆風に合わせて家具業界は変わらなければいけない。

逆風…逆風ね。

僕は窓際の机に座り、それをジッと聞いている。窓の外では春の強風に桜が煽られ、最後の花を散らしている。

風の強い日だ。

僕の携帯に、大阪と名古屋の家具屋の社長からほぼ同時にメールが入った。

地方はひどい状態…消費税アップ後、壊滅的に物が動かない。御社の高付加価値家具について話を聞きたい。

それぞれの社長が偶然にも同時刻、同内容のメールを飛ばしたのか…。

僕は吹き飛ばされる桜の花を見下ろしながらそう思う。

確かに僕は彼らの言うこの時代の嵐に対する処方箋を持っているし、自分の店でそれを実践している。それは20年後のスタンダードとなり得る方法論なのだろう。とは言っても、その効果が実証されるのは、ずっと先の話だし、僕らに努力や運がなかったらまず成功しない。つまり人様に教える段ではないということだ。

そこには奢りも謙虚もない。価値観が超多様化した現代に於いて企業が生き残るというのは、相当過酷な試練なのだ。

「まさに嵐だな」

そう小さく呟いた時、眠たげでほんわかした声が頭をよぎった。

「風の強い日おめでとう」

ハッとして記憶を手繰り寄せる。

くまのプーさんだ。

******

この風の強い日にプーは歌を歌いながら、いつもの「考える場所」に行くことにしました。

風が吹くよピューピュー
木が騒ぐよザワザワ
葉っぱが囁くよガサゴソ
だから今日はね〜
風の強い日かもね。
おそらくね!

******

壇上での話題が大塚家具の話になっている。ちょっと脇道にそれていませんか?そう思うけど口にはしない。予定調和のこの会の行く先を、僕はただ見守るだけだ。

******

野リスのゴーファー登場。

ゴーファー「よおー何を苦しそうな顔をしているんだい!」
プー「考え事をしてたんだ」
ゴーファー「何を考えてたんだい?」
プー「うーん。忘れちゃったよ」
ゴーファー「そうかい。俺だったら早く逃げ出さなきゃって考えるけどなっ」
プー「なぜ?」
ゴーファー「風の日だからさ!」

******

結局、うやむやなまま、その会は終わった。会合にいる大企業も中小企業も、誰もが答えを見いだせずにいる。ただわかっているのは、これから大きな嵐が来るという暗鬱とした予感だけだ。

僕は上野駅に向かって歩いている。遥か上空で黒くて大きな大気がゴウゴウと渦巻いている。

*****

ゴーファーと別れてプーはクスクスと笑った。

プー「だったらみんなに風の強い日おめでとうって言わなきゃ」

*****

僕は僕にできる役割を思う。大したことはできないかもしれない。でも、自社だけではなく、この家具業界のために少しでもポジティブな行動を示す、そのくらいのことはできるだろう。

家具業界の仕事。もちろんそれは政治活動も含めて、今までも一生懸命頑張ってきたことだ。顔を出す会合は10を優に越えている。だけどどうしてかな。最近は顔は出しても、少しそこから気持ちが遠ざかっていた。僕なんかが押しても引いてもビクともしない蓋の重みに少し疲れていたんだ。

最寄りのカフェで、大阪と名古屋の社長にメールを打った。何かお手伝いできることがあれば、もちろんご相談に乗ります。

みんなに風の強い日おめでとうって言わなきゃ。

僕は携帯を置いたまま、しばらくの間目を閉じていた。

2015年4月10日金曜日

深海の為政者


廃墟の教会(茅ヶ崎店)
グラマラスオペラ(AREA Tokyo)
退廃のカジノ(AREA Osaka)
背徳のサーカス(AREA db)

AREAでは、自社ショップを作るとき、その空間のテーマを作って来ました。それらにはそれぞれの台本があり、悲しいストーリーが前もって作られています。神になれなかった男の話。神の声を持つ大奥の少女の話。幻のカジノに囚われた男の話(これは以前当ブログで紹介しました)。サーカスに売られたジプシー少年の栄光と挫折。このようなストーリーは、取っ手など細部にわたって反映され、生々しい空間の作り込みに活躍します。例えば大阪店などは、実際存在したパリのキャバレーの図面から起こしています。

2015年秋デビュー予定の青山のAREA新店舗(3号店)は、もうすでに準備に入っていますが、今度の空間タイトルは

「深海の為政者」

と決定しましたのでここにご報告しておきます。いずれまたストーリーが完成したらどこかでお披露目するつもりです。

ちなみにこのタイトルを当社の専務に報告したら「あんこう?」と言われました(笑)。そんなわけで主人公はアンコウになると思います。店内の壁は、黒くてボツボツしててぬめぬめした感じになりそうです。


2015年4月9日木曜日

コラボについて思うこと


コラボレーションっていうのは花火のようだ。その場で開いてその場で終わる。

コラボとは原則的にコラボする両者が対等であることが基本ルールなのだが、実は、双方が対等であるほど、創造的なビジネスを生めず、未来への構築が築けないパターンにハマる。

「俺の所とお前の所でコラボしようぜ」

飲み屋とかでよくそんな話を聞くが、なんとなくいっしょにやろう、楽しそうじゃん。なんて調子でコラボを甘く見たら、時間とお金、下手をすればキャリアまでを浪費してしまう危険がある。

とは言え、実力のある30代のビジネスマンはこの空虚なゲームを繰り返して大人になって行くので、それも若者のキャリア構築にはある種の一興なのかもしれない。でも、身内以外の知り合いの若者がこの手の熱病にかかっていると、内心では「うまく失敗すればいいな」と僕は密かに思う。若いうちにコラボに成功して、その後プロデューサーに育って行く人間も中にはいるが、ほんの一握りだからだ。

どうしてもコラボするなら主催者側に回って欲しい。コラボを主催する側だと多くの利益(お金だけではない)を得る可能性が大きくなるからだ。街で美辞麗句に飾られたコラボを見ることがあるが、それが世の中で成功しているなら、そのバックには必ず大企業がいる。

また、二者で完結するコラボの場合でも、できれば一方がイニシアチブを取った方が成功する。その場合はコラボの名を借りた、プロデュースドバイ・・・(一方)になるわけだが。


とは言え、コラボレーションという花火が世界に彩りを与えているのも事実。

スタンスをしっかり考えて臨みたいものだ。


2015年4月6日月曜日

接客の授業をちょっとだけ (パート2)


今日は出張で裏日本に来ていますが
時間が開きましたので、
ちょっと昨日の補足をします。

1
お客様を見て(観察+聞き込み)

2
膨大な引き出しの中から、
そのお客様に最適な
単語(センテンス)をピックアップする。

3
単語(センテンス)をつなげて(文法=プロット)
お客様にご紹介する。



ちなみに、昨日のブログでは、この「文法(プロット)」というところが分かりにくかったと思いますので、補足も含めて解説させていただきます。

Q
このイスは何の木で出来てるの?
A
ブラックウォールナットです(結論)

北米のアパラチア山脈、特に五大湖周辺に分布しています(生息地)

色合いや木裡の美しさはもちろん(材の特徴・美しさ)

素材としての安定性、つまり割れや反りに優秀な木です(材の特徴・強さ)

上の会話をセンテンス分けしますと、

1 結論
2 生息地
3 材の美しさ
4 材の強さ

というセンテンスとなります。
そして、
この1,2,3,4というセンテンスの順番がプロット(構成)です。

例を簡単に変えます。

1 私は野田です。
2 私は青山の家具屋で働いています。
3 見た目はゴツいけど
4 割と繊細な面も持っています。

(・・自分を例にする必要はあるのか?)

プロットを入れ替えます。

■ゴツい見た目の野田です。でも実は割と繊細なので青山の家具屋で働いています。

■青山の家具屋で働いている野田です。繊細な所もあるけどゴツい見た目です

■ゴツい見た目と繊細な面を併せ持つ野田です。青山の家具屋で働いています。

■青山の家具屋で働いているゴツくて繊細な面も持つ男、それが野田(私)だ。

(読んでいる人に何を刷り込もうとしているんだ?僕は・・)

まあ、言いたいのは、同じセンテンスを使ってもプロット(構成・順番)が変わると、伝わる意味も微妙に変わってくるということです。逆に言うとプロットを変えると同じセンテンスでも、さまざまな方向に意味付けを変えることができるということです。

特に国際外交の世界では、この能力が必須になります。事実の順番の入れ替えを駆使すると、戦争さえ起こす(相手に起こさせる)ことができると聞いたことがあります。日本の天才官僚たちはこの作業が非常にうまいらしいです。怖いですね・・・。ぜひその能力を平和のために使っていただきたいと思います。

昨日は膨大な知識の引き出しから、そのお客様に最適な単語(センテンス)をピックアップするのがとても大事と言いましたが、今日はセンテンスのプロット(構成・順番)の重要性のお話をさせていただきました。

無数のセンテンスの引き出しから、そのお客様に最適なセンテンスをピックアップし、それらを用いて、やはりお客様に最適になるように、縦横無尽にプロットを組み替える能力を持った人が、優秀なスタッフであるということですね。

あいつは生まれつき販売のセンスがある。
それに比べて自分は・・・。

とかウジウジ考えているそこのあなた!!

今日から実際に実践してみましょうね。

ちなみに・・。
これが出来る人は家具でも、車でも、家でもなんでも売れますね。そして感のいい人はもう分かっていると思いますが・・。

この能力を習得している人は女(男)にもてます!!!

おしまい。
(・・・もう続きません)

























2015年4月5日日曜日

接客の授業をちょっとだけ


最近の僕の仕事は新人教育です。
今日もこんな感じでがんばりましたよ。


僕「木の素材は覚えてきましたか?」
新入社員「はい」
僕「ブラックウォールナットは何目、何科、何属」
新入社員「・・・クルミ科」
僕「ホント?あってる?」
新入社員「は、はい・・(自信なさげ)」

あってますね。クルミ目、クルミ科、クルミ属。

僕「日本の主だったクルミ材の名称は?」
新入社員「鬼胡桃、沢胡桃、野胡桃」

僕「はい。3日後に筆記テストしますので復習しておいてください。2時間目は接客レッスンその2を始めます。テーマは[知識の最適化]です。」

**********************************

僕ら販売店は毎日接客をします。

僕は自社でもコンサル先でも、いろんな販売員を見てきましたが、本当に販売の上手な人はほんの一握り。

先天的に売れる人。
それは生まれつきのものだろう。

でも、それで片付けてしまったら
一握り以外の人がかわいそうだ。
販売店の仕事は販売だけではない。
でも販売店だからなあ。
できればみんなに販売のスペシャリストになって欲しい。

いつからかそう思うようになった。
だからいろんな人の販売を観察した。
そして、売れない人に4つの共通点を見つけた。

その内の1つが知識の最適化だ。

************************************

例えばお客様に「このイスは何の木ですか?」と聞かれたとします。「ブラックウォールナットです」と答えますね。これが会話でいうところの単語です。走るという動詞は英語でいうと?」「Runです」と感じは同じ。知識は暗記すれば誰でも習得できます。

例えばお客様に「このイスは何の木ですか?」と同じことを聞かれて、「ブラックゥオールナットです。北米のアパラチア山脈特に五大湖周辺に分布しています。世界三大銘木に数えられていて、色合い、木裡の美しさはもちろん、素材としての安定性、つまり割れや反りにもなかなかに優秀な木です・・云々」これは会話でいうところの文法に近いものです。有効な配置に関して一定のルールがあるものの、覚えて慣れてくると、これも誰でもマスターできます。

さあ次が問題です。

覚えた単語(知識)と文法(プロット)をしっかり話しても
実は売れない人と売れる人が分かれます。

なぜでしょう?

答え。
売れる人は、お客様が真に必要としている単語と文法を取捨選択していて、売れない人はお客様を見ていないか、それらの取捨選択を間違っているのです。

お客様が欲しがっている情報というのは(多少の傾向はあるでしょうが)お客様の数だけ違います。しかも、やっかいなことに、その真に必要としている情報を、当のお客様すら気づいていないこともあるのですね。

以下は接客シュミレーションの授業で実際に会った話。

お客様「キッチンのカウンターが白木なの。大工さんが秘蔵の材料を使ってくれて、ヒッコリーって言ってたかな。だからテーブルも白木にしようと思っていて」


「そうですね。白木ならオークでしょう。白木の女王と呼ばれているアッシュ(タモ)もいいですね。すうっと通った木目が云々・・」


「そうですね。しかしちょっと待って下さい。ヒッコリーはクルミ科ですね。木目の表情はウォールナットと似ています。色で揃えるのも大事ですが、部屋のコーディネートを考えたら木目の統一も結構大事ですよ」

当時の新人2人は同じ知識を持っていました。しかしここでは大きな違いが出てしまっています。一人はオーク、アッシュの知識の引き出しを開け、一人は木目の統一の引き出しを開けたわけです。もっと会話を掘り下げないとどっちのスタッフから購入するか分かりませんが、白木の統一と木目の統一2つの選択肢を与えた後者のスタッフの方がちょっと分がありそうです。

もっとたくさん例を出せば分かり易いんでしょうけど、長くなるので、ここでは割愛します。これについての僕のイメージを一応補足しておきます。

ちょっと記憶が拙いですが、「千と千尋の神隠し」の中で蜘蛛みたいなおじいさんが大きな薬棚からモノを取って千に手渡します。この大きい薬棚の沢山の引き出しの量を知識の量だとします。蜘蛛ジイ(名前忘れました)はそこから千に最適な薬(?)を取り出して渡します。

この行為が知識の最適化ですね。

あったりまえのことをながーくズラズラ書いちゃってーー。って思う人はきっと売れる人なのでしょう。しかしなかなかどうして、これを教えた途端に売れるようになる人は多いんですよ。なるほどーって思った人は明日の接客でぜひお試しあれ。

あ。これを読んでいる人は家具を探している人も多いんだった。

お客様のあなたは・・そうだな。

知識の最適化ができない人から高価な家具を買っちゃだめです。スタッフは選びましょうね。

というわけで、今回は日々接客にいそしんでいる同業のお仲間のみなさん宛に書いてみました。

お粗末様でした。

2015年4月4日土曜日

7社52名



桜の季節。
新入社員研修一日目。

着慣れないスーツを着た新人たちが緊張して僕を見ている。2015年、当社CROWNに入った人材だ。僕は彼らの顔を昔の自分に重ねている。

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僕の職業はインテリアショップだ。役職は代表取締役。同時にデザイナーでもある。「野田さんはどこの2代目さんですか?」と、よくいろんな人に聞かれるが、生まれついてその役職を持っていた訳ではない。この業界では割と珍しいサラリーマン出身の独立組だ。新卒と同時に総合建材メーカーに入社した。大学が長かったため、25歳でスタートした社会人生活だった。

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「右の方から自己紹介をどうぞ」
新入社員のたどたどしい言葉。緊張のあまり一人がどもってしまう。周りの人間が少し口元を緩ませるが、社長である僕は表情を変えない。

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「野田よう、俺たちは数字を作る。営業だからな。良く出来た月もダメだった月も翌月になりゃ水に流れちまう。毎月毎月毎年毎年同じことを繰り返す。なぜだと思う?」

かつて僕が新人だったころに出会った上司の言葉を思い出す。

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26歳の春。新横浜。早朝の営業所。
外は春の嵐。
強風とそれに混じる大粒の雨が、雑然と散らかった事務所の窓を激しく叩いている。

僕はフェイクレザーの安っぽいソファに腰掛けて小さくなっていた。やらかしてしまった。昨日の失態を思い出して頭を抱えた。出入り禁止になったその材木屋の社長の顔。80歳を越えているだろうか。爺様の赤紫に腫れ上がった怒りに満ちた顔。「ガキがッッ、テメーのおかげで大損だわっ出入り禁止だっっ」見積もりのミスだった。竣工寸前の12棟現場の幅木が6棟分も足りなかった。単純に掛け算のミスだ。「明日6時、野田ちゃん所長に呼び出しだってよ、殺されんぞ?」駒沢大学出身で同期の岩清水がニヤニヤして言った。

横浜営業所の所長がドアを蹴り込んで入ってきた。まず一声。「野田ァッ、何座ってんじゃおんどりゃぁ」直立。思わず頭をかばった。火のついた煙草が飛んできた。続いてバーバリーのコートが投げつけられる。「そんでもってお前はこっちじゃっ」襟首を掴まれてソファと反対側の床に文字通り投げ飛ばされた。

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フローリングからキッチンまで、およそ全ての家の部材を作るメーカーの営業マン。上場企業と言っても、営業相手は地元中小建築業者、問屋、販売店、大工、土建屋などだ。これが何を意味するかわかるだろうか。この世のすべての仕事の中でも、ひときわ気の荒い種族を相手にするということだ。当然、相手をするこちら側も同種でなければ勤まらない。所長などは最たるもので、地元では伝説の人として数えられていた。

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ショッポ(ショートホープ)に火をつけながら、ビニールソファにドカッと座った。東京本社から来た名うての荒事師が、起立する僕を足の下から睨め上げている。リーガルのウイングチップを半分脱いで、足もとでブラブラさせている。次に飛んでくるのはこのリーガルなのだろう。頭から汗がドウッと吹き出した。コナカのワゴンセールで買ったシャツの背中はすでにビッショリだ。しばらくの無言のあと、所長がガラガラした声で言った「迷惑をかけた人間を全部言ってみろ」どう答えていいのか分からずにもじもじしている僕に「もじもじしてんじゃねえっ。こっちは寝不足で疲れてんだよっ」火のような言葉が浴びせられた。すごい熱気に鼻水が出た。鼻水をすすった。「鼻をすするんじゃねぇっ」怒号がかぶさった。「えっと」「えっとじゃねぇっ」「あ・・」「あ、じゃねぇっ」一言一言が耳をつんざく太い大声だ。僕の脳は萎縮してもう何も考えられなくなっていた。意識もボンヤリしてきた。何を聞かれてるんだっけ?「迷惑かけた人間だっ」その声に我に帰った。「所長と・・」言った瞬間リーガルが飛んできた。「俺じゃねぇっっ」

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所長が今回の新築物件に関わる人間を列挙している。施主一人一人の名前から販売店の社長、番頭から新入社員まで。続いて問屋の営業部長から果ては商社の担当。驚いたのは一人一人の相関図・・それこそ家族構成からそれにまつわる人の心の機微、それぞれの会社の立ち位置と夢、そして財務状況まで完璧に把握していることだった。「以上7社52名」言い終えて所長が立ち上がった。「今から全員に頭下げてこい、いいか電話なんて使うんじゃねーぞ」そしてドア口で振り返ると最後に「お前はその仕事に関わる全ての人たちを不幸せにした。その責任を取って来い。自分を捨てて来い」と言って事務所を出て行った。ふいに肩を叩かれて振り返ると、課長がいつの間にか後ろに立っていて、僕に一枚のリストを手渡した。7社52名の住所リストだった。

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嵐の中ビニール傘を何本もダメにしながら、神奈川県内をあっちこっちかけずり回った。何度も何度も頭を下げながら、行くほうぼうで無惨に叱られた。まあまあ、次からは・・なんて言ってくれる人は誰一人いなかった。夕方になった。ぐったりとして、そして最後の材木屋。出入り禁止と叫ばれた昨日の記憶がよみがえる。何度かうろうろした末、僕は意を決して門をくぐった。

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爺様社長が庭に立っていた。「お前は出入り禁止じゃ、母屋には入るな」「大変申し訳ありませんでした」頭を下げる。「言葉なんぞどうでもいい」爺様社長がついて来いといって裏口の作業場へ歩き出した。無言で隅の置き場を顎で指した。おがくずだらけのブルーシートをめくると、例の幅木が積まれていた。12棟分キッチリ揃っていた。「え?なんで?」頭が混乱した。実は発注が間違ってなかったとか・・。いやそんなはずはない。

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「お宅の所長はな、昔ウチの担当だった。それが昨日の夜中久しぶりに飛び込んできたと思ったら、おっちゃん軽トラ貸せってわめいて、清水の工場までこいつを取りに行ってくれたんじゃ。儂もついて行った。道中いろいろ話をしたが、奴ぁ言ってた。わけぇもんの考えてることはわからん。わからん限り合わせることもできん。だったら俺のやり方を押し付けるだけだってな。お前さんはすぐ手ぇ出るじゃろって言って茶化したが、最近はモノ投げるくらいにしてるって笑ってたな」僕はうつむいた。昭和のロジックなんてついて行けねーよと頭では思ったが、この爺様と所長が深夜の東名を軽トラで走らせている様子に、なぜか心の深い所がざわついた。「儂ゃ若い頃に戻ったようで楽しかったわ。あいつとはよく軽トラに乗って営業したからの。まぁ、お前の失態とは別の話じゃがな」

******************************

僕は口を開いた。新入社員たちはそんな僕を凝視している。

「なぜ仕事をするのか。まずはそれをはっきりさせておきたい」

僕はあの時の所長のやり方を賛美はしない。暴力教育の美化なんて死んでもするものか。だいたいやってることはヤクザまがいのマッチポンプだし、やることなすこと不器用で非合理すぎる。昭和一桁代の教育なんて時代錯誤で間違いだらけだ。

しかし・・。

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数年後、所長が本社に再転勤になった送別会。正直僕はホッとしていた。あんな人権無視の圧迫所長といっしょにいるのはこれ以上耐えられなかった。集中砲火に堪え兼ねて、同期の岩清水はとうの昔に転職していた。所長の新部署は本社の窓際だと聞いた。いい気味だ。さんざん酔いも回った所で所長に「野田ぁこっちゃ来い」と呼ばれた。「お前、あんときの7社52名を覚えてるか?」「忘れられませんよ、あれだけは」「よっしゃそれならお前は一生大丈夫だ。」みんなが騒いで飲んでいる和室の片隅。少し間を置いて所長が口を開いた。僕はあぐらから正座に座り直した。「野田よう、俺たちは数字を作る。営業だからな。良く出来た月もダメだった月も翌月になりゃ水に流れちまう。毎月毎月毎年毎年同じことを繰り返す。なぜだと思う?」

初老の所長と爺様が一人の新人のために笑いながら軽トラを走らせている景色。

「ウチの若いもんを甘やかさないでくれ、どうか叱ってやってくれ」と朝早くから電話口で頭を下げまくっている光景。

「あいつは骨がある」ブツブツ言いながら課長と2人で7社52名のリストを作っている姿。

すべて後から課長に聞いた話だ。実際見ていないのに、それらがまざまざと目の奥でフラッシュバックする。くそ、くそ、くそ!!

「自分に関わる全ての人たちを・・・」

答えかけてやめた。口にしたら陳腐になりそうだったからだ。言わされている感じも嫌だった。せめてもの抵抗だ。しかしなぜか代わりに涙がわいてきた。ぬぐってもぬぐってもあとからあとから流れ出してきた。くそっ。このままじゃ美しい送別会の風景あるあるじゃないか。所長はバカにしたように僕を見て笑っていたが、その目の奥には歴戦の勇士の深い慈しみがあった。

「所長・・ありがとうございます。お体に気をつけて下さい」

代わりにそう言った。課長が気を使って最後の一本締めを序列無視で僕にやらせてくれた。

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「なぜ仕事をするのか。まずはそれをはっきりさせておきたい。それは・・・」

そう言ったっきり黙り込んでしまった僕の前で新入社員が次の言葉を待っている。

時代錯誤で間違いだらけだ。しかし・・・あの人の中には時代を超えた太い真理があった。

「俺たちの仕事に関わる自分以外の全ての人たちを幸せにするためだ」

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僕はこの教えを二度と手放すことはないだろう。

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2015年4月3日金曜日

ダブルギミック

AREAはIT、広告、芸能人もさることながら、金融関係のお客様が非常に多い。特に最近、リーマンショックの痛手から完全回復した彼らがお店に戻ってきている。

金融系のお客様はトムフォードの銀縁をキラリと光らせて、家具に対する自分の好みを理路整然とリクエストする。

以下実話。

鷲津(偽名)「前も言ったと思うけど、ここに秘密の書類を入れるための鍵付き引き出しが欲しいんだ。」
AREA(某スタッフ)「…」
鷲津「どうかしたかな?」
AREA「…気持ち悪いですね」
鷲津「気持ち悪い…だと?」
AREA「いえ、こんな所にそれこそ取って付けたように引き出しを付けると全体的にシャープなシルエットが崩れます。それがどうも…」

ちょっとお待ちください。彼は席を離れるとたくさんの資料を持ってきた。ゴシックから現代に至るデザインの歴史本を捲りながら説明を始めている。

AREA「歴史が全てではないですね。でも歴史には宗教から人間工学まで膨大な人知が詰まっています。ですから無視はできません」

デザイナーはお客様の実利を無視してはいけない。相当の実力があったら別だが、独りよがりのデザインなど誰も欲しくない。だいたいそんなニセモノデザイナーは、特に鷲津氏のような何かを極めたプロには通用しない。ここからだな。遠くから観察していた。

AREA「ああ、ここですね。ここに隠し引き出しを作りましょう」

鷲津「隠し引き出し?」

AREA「ここから手を入れてですね、鍵は手探りだけど、こう開けてもらってこう…」

どうやら箱と箱の接合部に構造の隙間を見つけたらしい。一冊の本のページを捲りながら説明をしている。

AREA「このページの異教弾圧の隠し部屋。これと構造は一緒です。構造自体、作るのは難しいけど使い勝手は簡単です」

フーコーの「薔薇の名前」の事案まで飛び出している。鷲津氏は身を乗り出して聞いている。

AREA「というわけで、全体のデザインシルエットを損なうことなく、引き出しをつけることが可能ですね。秘密の書類を秘密の引き出しに入れるわけです。なんというかスキッとしていて気持ちよくないですか?観念的というか感覚的な話ですけど」

こちらからは鷲津氏の表情は見えない。だが、彼の顔は容易に想像できる。仕手仕掛けは金融マンの十八番だ。デスクに仕掛けられたギミックに惹かれないはずがない。いやそれ以前に、その結論を引きずり出してきた人間に感動の念を持つだろう。その証拠に、彼はもう本や手元の図面を見ていない。目の前のデザイナーをジッと見つめている。

勝負ありだ。

バックヤードで契約書を用意している彼に声をかけた。

「見事だったね」
「いや、たまたまです」

たまたま?
そんなわけないだろ。
隠し引き出し案はいつから用意していたか…。

おそらく気持ち悪いと言ったのも仕手の伏線だろう。下手をすれば、今日のプレゼンの前日から用意していたプロットだったのかもしれない。そういえば資料を持ってくるのもやたら早かった。全部用意されていたのか。

ギミックデスクをプレゼンするための接客ギミック。ダブルギミックだ。

「でも次のお客様も詰まってたんだし、普通に引き出し付けて終わらせれば良かったんじゃないの?」

わざと煽ってみた。

「いえ、それはどこでもできるしウチらしくない。ええとつまり、ファンタジーというか夢がない。それに…」

彼はその後を言い淀んだが、わかっている。これで鷲津氏はこれからたくさんの口コミ客を連れて来てくれるだろう。

数年後の後日。鷲津氏と話す機会があった。

鷲津「ダブルギミック?そうだろうね。キレイな流れだったからね。まんまとやられたよ。しかし、それでいいんだ。僕にとったらその提案で競合していた某ブランド店との明確な差別化ができたわけだから。そして、今でも本当に御社の家具を買って良かったと思ってる。まあ、彼は金融業界にいたらものすごい金を作るだろうな。しかし羨ましい」

金融はお金を作る。我々は家具を作る。金融マンにとってリアルに物を作るというのは、一種の憧憬に近いものがあるという。同じ仕手戦をするなら物作りでやりたいよ。彼はそう言って笑った。


2015年4月2日木曜日

CROWNのメインバンク


当社CROWNのメインバンクは東京三菱UFJです。サブバンクで横浜銀行、静岡銀行。抑えで城南信用金庫とお付き合いさせていただいています。

メガ、地銀、地元銀と三種類きちんとお付き合いするのは、戦略的なところが大きいです。金利の問題もありますが、それぞれ得意不得意の個性が違うからですね。経営上、攻めも守りも堅牢にしていくためには、大事なお付き合いだと考えています。

すべてはお客様の満足を創造するために必要なことです。ブランドとは最後は信用力の有無だと思っております。良い商品を揃えていても、いざ(攻める・守る)という時、頑丈な企業力を持っているかどうかが肝心ですよね。

しかし、ここのところ銀行さんのご訪問が多いです。(銀行は)「雨の日に傘を貸さず、晴れた日に貸しにくる」などとよく言いますが、お受けしたり、お断りしたりという判断は結局経営者のセンスなのだろうと思います。上手くお付き合いしたいものですね。




2015年4月1日水曜日

2015年の新作もフルシリーズでいきます。


2015年の新作の用意を始めています。

その数30点(たいへんだ)

2014年のテーマは「SIN(罪)」でした。
共通ビジュアルとしてツノ(角・尖ったもの)にフォーカスし、ゲーテの「ファウスト」を下敷きに一つのコンセプトシリーズを作り上げました。

音楽の世界では、
ビートルズのサージェントやクイーンのオペラ座の夜、デビッドボウイのジギー。邦楽で言えばイエモンのジャガー、フリッパーズgのヘッド博士、バンプのリビングデッドなど数多くあるコンセプトアルバム。あるテーマのプロットに則って多数の作品を作り、一つの世界観(story)としてまとめあげるという手法です。

本来、家具の商品ラインナップでコンセプトアルバムの世界観を実現するのはなかなか難しいのですが、カタログという要素を加えることで、なかなか堅牢なコンセプトワールドが作れたのじゃないかと思っています。

AREAというブランドはいくつかのシリーズを持っています。

Full シリーズ
「A」
AシリーズはAREA作品の根幹となるシリーズで、シンプルの中に眠る遺跡的な要素のイメージです。F.L.ライトの影響を受けています。チェアA-1などはその典型です。当時、南米文化の本をめくりながらまとめた記憶があります。AはAREAの「A」です。その後、AシリーズはAREAの基本ラインとして発展して行きます。

「RIPE」
これは、豊かなボリュームというコンセプトのもとに作られたシリーズです。アウトラインはシンプル、ディテールにボリュームをもたせるというコンセプトです。ちなみにライプとは女性の乳房の豊かさを示す単語です。バックグラウンドにはジャコビアンを据えているため、どことなく英国の匂いがします。

「VANITY」
ヴァニティとは虚栄心やうぬぼれという意味ですが、金属や磨きの技術を多用したキラキラした家具シリーズです。ただひたすら冷たくカッコいいものというコンセプトです。ミラノ公国の秘蔵家具にインスパイアされています。このシリーズは割と伸びが良くて、商品点数が一番多いですね。

「SIN」
罪という名の家具シリーズ。基本をシェーカーに置いていますが、バロックやゴシックまで遡った様式美を現代東京に透過アレンジさせています。尖塔の挑戦的な美しさは神に対する人間の意地のように感じます。僕はあれは恭順には見えないな。

Part シリーズ
「PACIFIC」
湘南地方のびのびとした空気感。
「CIRCUS」
かつて持っていたオリジナル雑貨のシリーズ。いずれ復活させたいです。
「GRASP」
掴むという基本コンセプトを建築美と融合させたデザイン。
「OPERA」
華美と一夜の刹那をコンセプトに開発したシリーズ。請け負ってくれていた工房が事業を縮小したため、今はほとんどレギユラー落ちしてしまっています。

カタログは商品カテゴリー別になっていますので、上記のようなシリーズ別でも見ていただくと嬉しいです。

今年2015はFull シリーズをまとめようと思っています。僕らに取っては4枚目のフルフルバムということになります。僕に取って4枚目といえば「オペラ座の夜」です。この時点ですごく肩に力がかかっていますが。


「エロス&バイオレンス」
この辺りがキーワードになると思いますがどのように落とし込むかは、これから考えて行きます。

また、今年は社外デザイナーの方々ともタッグを組みます。
そのあたりもぜひお楽しみに。

カタログもボリュームUPしますよ。