田舎に来て山道などを歩くと、たくさんの樹木に出会う。それらは一般の人にとっては全部が単なる「木」だが、僕らはその道の人間なので、だいたいわかってしまう。
わかるというのはつまり、まず種目属、樹齢、性質、そこに寄る虫、動物。そこから推察する気候風土、人々の暮らし、次に材料の特質、曲げ、削除、割れ、反りなどの特性、そこから推察される家具の構造、デザイン、最後に継ぎ接ぎの方法接着剤の相性、また、木質杢理に合わせるファブリックなどの異素材のマッチング論などだ。ふう。
知識がにぎやかすぎて、もう山の風景なんて見えなくなって、山手線の渋谷駅にいる時みたいに、頭がキーンって痛くなることもある。
そういう時は1度目を閉じてデザインの事を考える。学術を無視したデザインの可能性を。
ケヤキの聳え、山桜の枝ぶり、沢胡桃の表皮、楡の頑丈、ブナの高貴。
例えばテーブル。
雛団扇楓のするり青空へ伸びる幹の流れと多少儚い枝ぶりなどの象形をそのまま映すようにデザインをできないかな。
そのテーブルを見た時、誰もがその木の立っている姿をブワッと思い起こしてしまうようなデザイン。
脚の4本は全部違う形状なのだろうか?天板の形や厚みは?風に揺れるあの枝ぶりをどこで表現しよう?
それはアートだよ。誰かの声が聞こえてくる。そうなんです。僕はアーティストではない。ちゃんと自重してますよ。
でもね、知識を積めば積むほど、それらが疎ましく思えてくるものです。販売すればするほど、その目的以外のなにかを作りたくなるのですね。
やりませんけどね。
…。
…。
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