2013年5月12日日曜日

何度でも(私小説vir.) [後編]



10
[暗転の夜]

パーティを抜け出し夜のベンチで息をつく。

世界一ってなんだ?

「なんすかねー」

振り返るまでもない。佐藤賢一だ。

「なー、俺はお前の事を知らない」「いーんですよ、そんな些細な事。それより、さっき明日って言ったけど、今やりましょうよ。葡萄酒も持ってきたし」

中国の西、トンガンの夜。

月が白々と降り注いでいる。

そこに雲がかかる。

闇が濃くなっていく。みるみると。

 11
[世界一とは何か]

「何か言ってください」「何かって?」「何でも」

何でもって・・・お前が話があるって言ったんじゃないか。
やっぱり変な奴だな、こいつ。

「・・・じゃあ世界一って何だろう?」

中国の若者たち。突き上げた人差し指。
あの姿は大学生の頃の自分にも重なる。
彼らは・・いや、俺はあの頃、何を思って世界一と言ったのか。

どうしても・・・思い出せないんだ。

「漠然とした手段です」

「え?」

「世界一とは何か・・ですよね」

「・・世界一が手段なら、その目的は?」

「道標を置いていくという作業です」

「道しるべ?」

「・・・それより、野田さんの夢を教えてください」

「家具インテリアを日本の基幹産業にしたい」

「あとは?」

「自社ブランドを世界ブランドに押し上げたい」

「いいじゃないですか。それができれば十分世界一ですよ。さっきの彼らは、まだハッキリ見えてないんだ」

「見えてない?」

「情熱がほとばしって、それが世界一って言葉になっているだけで、実感が無いってことです。中国はまだ若者なんです」

(俺は家具で世界一を目指す)
根拠のない自信。
考える前に口をついて出てきてしまう言葉。
そうかあの頃の俺と同じか。

「でもね、そもそも世界一っていうのはそんなものです。結果じゃない。大事なのはそこに向かう[]にこそあるんですよ

「そうか。そういうことか」

「そうです。世界一を目指す者たちは、途中でこう気づくんです。『ああそうか。この道を目指して一つ一つ道しるべを置いてきた、その自分自身の行為こそが本当に尊い事だったんだな』って」

「なるほどね。でもそこの境地には世界一を目指す道を歩まなければ、たどり着けない」

「はい。だから、no.1よりオンリーワンをなんて逃げ口上を言う日本人は東アジアから取り残されますね。いや、世界から・・かな」

「うん。本当だ」

「だからあなたは自分のためにも、後から続く若者のためにも、道標を置き続けて、そして最後にはあなた自身こそが道標になる必要があるんだ」

「なあ」

「ん?なんすか?」

「これは夢だよな」

沈黙が流れた。
風が並木の木立を揺らした。


「・・そうですよ」

ややあって、佐藤賢一はポツリと言った。

「佐藤賢一なんて存在しないよな?」

佐藤賢一が露骨に嫌な顔をする。

「確かに。でも、だからってそれがどうだって言うんです?僕はあなたが迷った時に出て来る亡霊みたいなものです」

「そうか。やっと思い出したよ、そう言えばそうだったな」

「今までも何度となく、こうやってあなたと話してきました」

「で、いつも丁寧に俺の記憶を消して去っていく」

「そういう役割なんです」

「はは。ずるいな」

「あ、笑いましたね。それでいいんですよ」

いつの間にか雲が晴れていた。

12
[遥か彼方の]

ピカピカとした月明かりの下で、僕らは良く呑んで良く話した。

来し方、行く先、未来の話。

道が晴れていくのを感じた。

ああそうだ。俺は世界一に向かっているんだった。

“継ぎ接ぎのソファ”。
とうの昔に捨ててしまった。

“へーかっこいいねぇ。絶対大丈夫だよー”
彼女の笑顔も・・古い思い出だ。

でもあそこから確かに道は続いていた。

そうかあれは全部、俺の道しるべだったということか。

妥協の着地点?冗談じゃない、何をいってるんだ。

まだまだ行ける。

「岬の先」を見てみたい。

もっともっと遠くまで行きたい。

「なあ、今回は少し手加減してくれよ。この晴れ晴れとした気持ちを憶えていたいんだ」

記憶が消えても・・この夢が醒めても・・せめてこの心持ちを、微かにでも憶えておきたいと切に思った。

それは祈りに似た感情だった。



12
[帰国]

スーツケースを引きずりながら目黒川沿いを歩いている。満開の桜の下で携帯が鳴った。「出張お疲れさまです」

「土日どうだった?」

「そこそこです」

朝日橋の上で立ち止まる。どうしたんだろう。なぜか心が晴れやかだ。

出張前の暗い気持ちが、かけらも残っていない。

「なーんか気持ちがいいな」

「あれ、中国でいいことありました?」

「んー特になんもなかったよ。いや、でもさ・・今日もアレだ、世界一を目指そうぜ?」

「あー!久々に聞きました。その言葉」

風が流れた。

『ハハッ。それでいいんですよ!』遠くから誰かの笑い声が聞こえた気がした。

振り向くと桜の並木道が遥か先まで続いていた。

2013年4月7日日曜日

何度でも (私小説vir.) [前編]



1
[妥協の着地点]

薄暗い朝靄の中。スーツケースを引きずりながら目黒川沿いを歩いている。暖かい春の朝だ。桜もつぼみになり、枯れ枝がほんのり桜色がかっている。また春が来るんだ。何の感慨も無くそう思った。朝日橋の上で立ち止まる。飽きる事なく家具を売り続けて、もうどのくらい経ったかな。15年か。もっと長くやってるような気がする。連綿と続くギブ&テイク。そんな日常に少し疲れたのかもしれない。どこかに妥協の着地地点があるんじゃないのか?最近そう思うようになっている。

2
[翼の両翼]

「渋谷駅新南口」タクシーの運転手に告げる。メールをチェックする。「今日からの東芫出張お気をつけて」社員からのメッセージにため息をつく。中国家具青年部vs日本家具青年部のディスカッション。そんな趣旨で向かう今回の中国出張だけど。3月の繁忙期の留守を支えてくれる社員のみんなに申し訳ない気持ちになる。僕は家具経済同友会の仕事を、ある意味政治活動だと思っている。一方で自社の仕事は経済活動だ。前者に関わる僕の目的は、家具・インテリア産業を日本の主幹産業にするために一翼を担う事。後者は日本初の世界ブランドを自社ブランドで構築する事。それはお互いに相互リンクしていて、その両翼の活動無しではその両者とも達成できないと信じている。しかし、途方もなく長く遠い道であることは確かだ。

3
[陽のあたる場所]

ANAに乗り込み、窓の外をボンヤリと見る。ふと思い出す。「ねぇ。このソファもったいないよね」大学時代、当時付き合っていた彼女が、ゴミ捨て場に捨ててあったソファの前でそう言った。「直せるの?」「裁縫得意だから。うん。このくらいなら大丈夫と思う」二人で同棲していた部屋にそのボロソファを運んだ。フェルトを買ってきて継ぎ接ぎして何とか座れる状態にまで戻した。部屋にソファが入ったから友達を呼びたくなった。人が集まるとみんなでその部屋の巣作りに励んだ。「野田さー、今度ここに本棚作ろうぜ」「いっそこのキッチン塗っちまおうぜ」そんな感じで。大学にも行かず、仲間たちと、そのたまり場で毎日遊んだ。風が気持ちよく抜けて、陽が溜まる部屋だった。毎日が楽しかった。先の事なんてまったく考えなかった。

4
[陽のない空港]

広州空港の空は低く重くたれ込めていた。暗鬱な湿気。饐えた匂い。たくさんの人々。ハイウェイで東芫へ。頭の中で無数の案件がひしめいている。新商品、新店舗、人事、クレーム、決算、従業員の人間関係。それら一つ一つの根っこを辿ると、浮かび上がってくるのはたった一つ。人間の感情だ。あたりまえだ。どんな数式もシステムもすべて人の営みという土台の上に成り立っている。コントロールなんてできっこない。みんなそれぞれの人生の主人公として日々を生きているんだ。それを差配しようなんて驕ってるよ。実際。
 5
[謎の男]

国際家具展示会場の前の大きなホテル。アイクの社員である中国人の宗君が細かい手続きをしてくれた。ロビーのソファに座る。疲れたな。ふと雑踏の人ごみの中にどこかで見たような顔を見つけた。若い日本人だ。誰だっけ。外から生暖かい風が吹きこんでくるのに、どうしてだろう、少し寒気がした。彼も僕を見つけて手を挙げた。近づいて来る。「野田さんですよね」「はい・・あの」「あ、俺のことは知らないと思います。俺は野田さんの事をよく存じ上げてますけど」そう言って彼は人懐っこい笑顔で笑った。自分を「俺」と言う子供っぽさと「存じ上げる」なんて大人っぽい言い回しとのギャップに違和感を覚えた。過去に何度も会っているような・・どこか懐かしい感じもした。「今日は時間がないんです。また明日にでも展示会場で」彼はそそくさと時計を見ながら去っていった。もらった名刺。佐藤健一。うーん。知らないな。

 6
[スタイリューション]

スタイリューションはトンガンに拠点を持つ台湾系の大企業だ。マットレスを作って世界中に販売している。代表のジャック・チェン氏とはその昔、面識があった。今回の展示会に合わせて40周年の記念パーティがあるということで招待されたので出席した。丸テーブルの隣には太陽家具の川崎会長、川崎社長、アイクの長島社長が並んだ。後ろの席にアメリカの家具業界紙Furniture Todayのプレジデントであるケビン・カステラーニ氏がいた。今年10月のアメリカ・ハイポイントでアメリカの家具業界青年部と日本の青年部とでディスカッションしましょうと提案したら、Ok! nice idea !! とケビンはガッツポーズを取ってくれた。やれやれ。と、その瞬間、スタイリューションの社員が壇上に登り社歌を歌い始めた。

7
[No.1]

スタイリューションの社員が膨大な数の顧客を前に、ツーステップを踏みながら、ハイテンポなロック風味の社歌を歌っている。続いてまた違う歌。隣の宗君が「これは商売繁盛の歌ですよ」と教えてくれた「商売繁盛の歌?」面食らって聞き直した。「そうです。みんなで沢山売って幸せになろうよって歌っています」「いっぱい売って幸せになる・・」呆然とした。中国語は分からない。でも巨大モニターに映る社員たちはみんな人差し指を空に突き出してNo.1No1.と連呼している。なぜか少し不快な気持ちになった。当時の民主党、蓮舫議員が口にした「No.2ではいけないのでしょうか」という言葉をふと思い出した。と・・「かーっ!! いいじゃないっすか。やっぱ目指すはNo1.っすよ」急に後ろで声がした。佐藤賢一が立っていた。頭がクラっとした。

 8
[フラッシュバック]

「家具好きなんだね。そんなに真剣になってるの初めて見た」継ぎ接ぎのフェルトが足りなくなったので、僕らは川崎のユザワヤに来ていた。この布地は加工したらカーテンにできるかなー? 売り場ではしゃいでいたらそう言われた。「・・そうかもなー」この数日ずっと考えてたことだった。「あのさ俺、大学卒業したら家具屋になりたいかも」「えーいいじゃん、絶対向いてるよ。へー、かっこいいねぇ」「でさ・・家具屋になったら・・」あれ?そのあと何て言ったんだっけな・・・。

9
[未来の話]

「ねー野田さん?」佐藤賢一に肩を叩かれて我に返った。「明日時間取れます?」「うん。いいけど」「やった」「何の話?」佐藤賢一がニコニコして僕を見ている。なんだろう。売り込みではなさそうだし。「僕と野田さんが話す話なんて一つに決まってるじゃないですか」「??」「未来の話っすよ」こともなげに彼は言った。未来の話?「未来の話をしましょう」再度そう言って彼は自分の席に戻った。あの席はどこだ、大塚があっちで、東京インテリアがこっち。佐藤賢一は隣の中国人と仲良さげに話をしている。彼は一体何者だ?僕は釈然としないまま、壇上に視線を戻した。スタイリューションの社員はまだ壇上で例の歌を歌っていた。目の焦点がぼやける。

そうだ思い出した。あの時の自分の台詞を。家具屋になったら・・。

「俺は世界一を目指す」

そう言ったんだっけ。

(後半に続く)

2013年1月10日木曜日

ありがとう


「野田店長大変です!!」「なんだよ」「閉じこもりました」「は?」「仕事をもうしたくないって言ってます」「は?」「トイレから出てこないんです」「なんで?」「さっき店長が・・」「俺が?え?怒ったから?」「そうだと思います」「まじで?」

その子は23歳で大学を出たばかりの新人の女の子だった。見た目はどこにでもいる可愛らしい子だけど、純粋無垢で「天然のくせにやたら頑固」っていう性格の持ち主だった。言う事はいちいち自信満々のくせに内心はすごく臆病で、口癖は「どうせ私は何もできない。やらせてもらえない」で。

その時僕は33歳。青山のとある小さいインテリアショップ(今は大きいけど)の店長をしていた。とんでもなく厳しかったと思う。自分の勤めるそのお店が、どうやったら日本一になることができるのかって、本当に毎日毎日考えていた。自分に厳しいのもそうだったけど、スタッフにも相当厳しかった。一回一回の接客に「命をかけろ。じゃなけりゃ今すぐ店辞めろって」毎日怒鳴っていたと思う。雇われ店長なのにね。変なの。

「出てこいよッ」店のトイレのドアを蹴る「やだーーー」「店開店してんだっつの」「やだーーーーーー」「お前、さっきのは言われて当然のことだろ?」「やだーーー」「いや・・『やだーって』・・・?」どういう意味?振り返って他のスタッフに聞いてみる。「さあ・・。」そうだよな意味わからん。

どうやってトイレから出てきたんだっけな。忘れた。けど、その女の子のその後の仕事の軌跡はもう見事なものだった。なんて言えばいいんだろう。コミュニケーションの天才なんだな。それも友達を作るとか、上司とうまくやるとかいう一般的なことではなくて、ショップ内で接客する時だけに発揮する相手と分かり合う術に、1000人に1人くらいにしか持ち得ないないほどの勘を持っていた。天性の勘ってやつだ。

そしてもう一つのスキルは吸収力の早さだった。教えられる事にまったく疑いを持たないから周りのスタッフの10倍くらいの早さで仕事を覚えていく。だから僕も教えるのが楽しかった。洗練されていくスピードが尋常じゃなかった。接客時の立ち振る舞い、ポイントの詰めどころ何度鳥肌がたったことか。

「店長?」「何?」「なんで私が副店長じゃないんですか?」「あー・・(汗)」

ある日の朝。会社の人事があった時だ。彼女の同期の男が彼女を差し置いて副店長に任命された。

「私、彼に売り上げで負けた事がありません。業務のレベルだって負けてない」「そうだな」「じゃ何で?」唇を噛んでうなだれている。「わかった社長に聞いて来るよ」

社長の答えは簡潔だった「女だから」「え?」「結婚とか妊娠とかいつ辞めるか分からないだろ?」「そうですけど・・・」

僕は正直に彼女にそれを伝えた。「納得いきません」「・・・だな」「店長だって言ってたじゃないですか。仕事は成果だって。それ以上に優先されるものなんてないって」「うん。言ったよ」こっちまで泣きたくなる。悔しくて。

朝礼で副店長になった男の子が所信を話している。ハキハキと・・・ハキハキと!
僕はこっそり振り返る。泣いてたりしたら面倒だなと思って。

彼女は顔を上げていた。あごを少し上げて、だらっと立って、新任の副店長ではなく、どこかあらぬ方にその目を爛々と光らせていた。ワタシハゼッタイユルサナイ。全身でそう言っていた。青白い炎の柱が立っているようにさえ見えた。「あらぬ方角に目を向けて・・・」すぐにわかった。彼女が許さないのは社長じゃない。副店長でもない。ましてや僕でもない。自分だ。全身全霊で自分を許してないんだ。

そうだね。僕らはプライドを守るために日々戦っている。自分はこうじゃない。こんなはずじゃない。そう思って前に進んでいる。もうちょっと、もうちょっとって。あきらめたっていいじゃん。普通でいいじゃん。そのほうが楽だよ。それも分かる。でも僕らは違うんだよ。どこかしらそういう人とは違って生まれて落ちて来たんだよ。

だから・・いつかここじゃない所に行こう。僕は息を止めて彼女を見ながらそう思った。

「なぁ、俺がお店を作ったら一緒にやろうぜ?」
店の前の居酒屋で彼女と飲んでいる時、そんな事を言ってみた。近頃はそんなことは考えてもいなかった。もっと自由にもっと自分たちがしたいことをするんだよ。だれにも止められない自分たちの領域を作ろうよ。ほら、俺前に言ったじゃん。建材と家具を同時に売る店をやりたいんだって。手伝ってよ。「えー?店長がーー?無理ーーー!」豚キムチの皿を箸でつついている。こうやって見るとまだ子供なんだけどな。

でも、彼女は、
僕の目をまともに見ながら
「いいよ」
「やるよ」
そして、
ニコーッて笑って
「やるよ!」
もう一度言った。


そして12年。
時間は流れる。
轟々と。

僕は少し痩せてひげ生やして社長になり
彼女はキレイなまま、
でもすっかり大人の女性に変貌をとげて
・・・副社長になった。


流れ去る日々はいろんなものを壊していく。
でも、
その代わりにたくさんの大事な記憶や思い出を残していく。
そして、
その時間を逃げずにくぐり抜けてきた僕らだけが持ち得る
尊い宝物を胸に抱えて。

僕らは・・・・。

いまもこうして
あいかわらず
ここにいる。
















ありがとう。
いや、
おたがいにな。