2015年3月31日火曜日

ある水楢の話


彼らの血が私の幹を洗った時、私は体を大きく捻って慟哭した。私はこれ以上、自分の為にも誰の為にも葉や花をつけることはないだろう。

************************

昔々北海道の山奥に大きな水楢(ミズナラ)があった。

私はもう自分でも忘れてしまうくらいたった一人でそこにいた。緑の丘にポツンと大きく聳える私の側にはいつも熊や栗鼠や鳥たちが集まってきた。だからまったく寂しくはなかった。晴れの日も嵐の日だって私は毎日が幸せだった。そしてさらに幾星霜の時が流れた。ある日どこからか見知らぬ動物がやってきた。熊のような力もなく栗鼠のように速くもなく鳥のように空を飛べないが非常に賢い動物のようだった。彼らは自分たちのことを人間(アイヌ)と呼んだ。

**************************

アイヌは彼の足下に古潭(コタン)(アイヌ語で集落)を開いた。彼らは私を含めて自然のものすべてに心があると言い、大地と空が所有するものはすべてカムイ(信仰すべき対象)と呼んだ。彼らはよく笑ったり泣いたりした。私はそれを少し羨ましく思った。私は笑ったり泣いたりできないからだ。彼らは道具というものを使った。その便利な様子は目を見張るものがあった。ただ私は彼らの道具のうち火というものがとても気がかりだった。便利であると同時に危険だと感じたからだ。

*************************

いつの間にか私はアイヌが好きになった。彼らは時に喧嘩もしたが、大抵静かで慎ましく暮らしていた。私は特にキサラという女の子が好きだった。彼女は訳あって私の足元で生まれた。耳がちょっと前を向いた可愛らしい女の子だった。足が速くていつも村で一等賞だった。彼女の両親は春が来るたびに私の幹に額をあてて彼女の健康を祈った。そしてもう一人。アシリという男の子。彼は小さい頃から敏捷で歌を歌うのがうまかった。よく私の枝の下で自慢の歌を歌ってくれた。とても恥ずかしがりやで無口だったが、決断力の早さと、ここ一番の度胸はコタンで一番だった。

**************************

だから私は2人の祝言が本当に嬉しかった。村長がアシリを次の長だと紹介した。アイヌたちは沸き上がった。盛大な結婚式だった。キサラはずっとちょっと前に向いた耳を赤くして嬉しそうにうつむいていた。私は生まれて初めて笑った。愉快な気持ちとはこういうことなのだ。私はお礼に大盤振る舞いでいつもより多めに緑の葉を落としてキサラとアシリを祝った。鮭や熊の毛皮や鷹の羽が振る舞われた。誰かが私に隠れてそれを見ていた。アイヌの格好はしていたがアイヌのようには見えなかった。私だけがそれを知っていた。胸騒ぎがした。

***************************

その日は突然にやってきた。
夜、気づくとコタンが悪魔のような炎に包まれていた。
火だ!
火だ!
アイヌが逃げ回っていた。影のようにアイヌではない人間が彼らを追い回していた。長い刃物で一人一人をなぎ倒して行く。誰かが松前藩とかシャモ(和人)とか叫んで彼らに素手で向かって行った。相手にならなかった。すぐに組み伏された。彼らの行動は規律的に統制されていた。かないっこないのは私にでもわかった。家から飛び出た子供たちが泣き叫んでいた。その子たちは一人一人シャモに抱えられ連れ去られて行った。私は戦慄した。誰かが私を指差した。アイヌのみんなが私に向かって逃げてきた。恐慌に陥った人たちの衝動だった。私の足下に来ればカムイに守られると思ったのだろう。何もできはしない。私にそんな力はない。しかし・・私は思った。早く来い。葉を落とすくらいしかできないが、それでも少しでも何かの力になりたいと思った。敵味方入り交じった大きな集団が私に向かって走ってきた。その渦の中心にキサラとアシリを見つけた。アシリは大声でアイヌのみんなに指示を出していた。一カ所に固まるな、バラバラに逃げろと。キサラはアシリに守られるようにして走っていた。キサラ、キサラ、お前は村で一番足が速いはずだ。私の後ろから森が広がる。そこにまぎれれば生き延びることが出来るはずだ。
速く
速く
がんばれ!
もっと速く
もっと速くだ!
がんばれー!!
その時アシリが前のめりに倒れた。流れた刃が腰にあたったようだった。キサラが振り返って悲鳴をあげた。自慢の足を止めた。止めてしまった。私は生まれて初めて泣いた。泣きながら叫んだ。
あー。
だめだだめだー。
止まっちゃだめだー。
キサラは泣きながらアシリを助け起こそうとする。アシリも懸命に立ち上がろうとするが、よろめいて再び崩れ落ちた。江戸から来た支配者たちが彼らに群がった。


**************************

夜が明けた。
私の足下でキサラとアシリが手を握って倒れていた。
アシリはもう二度と歌えない。
キサラの可愛らしい耳が赤く染まることも二度とない。

私の体からすべての葉が落ちていた。
私は意識を閉じた。

***************************

昔、とある人に北海道産ミズナラの一枚板の接客をした時、こう言われたことがある。「よく勉強しているね。でも我々に取ってミズナラというのは悲しい言い伝えがある。いわゆる[葉をつけぬ木]の話だ。できればそれを伝えて欲しい」そこで知ったのがシャクシャインの戦い(1669)とクナシリ・メナシの戦い(1789)だ。その後調べれば調べるほど和人とアイヌの凄惨な話しが出てきた。こんなエピソードを語ったら売れるものも売れなくなる。たぶんその人はアイヌだったのだろう。彼の気持ちも分かる。でも僕は歴史家ではなく一介の家具屋だ。この世には話さなくてもいい話ってのがあるんだ。当時はそう思った。

****************************

木の寿命は長い。人間が窺い知れない景色をたくさん見てきたはずだ。僕らはプロだから木裡の具合から、ああ、ここで寒波が来たなとか、これは明らかに人が背比べをした跡だなとか、さまざまなことを見て取れる。それらをキチンと伝えて、一生もののテーブルとして使ってもらうのが仕事として正しいのだ。「きれいな情報だけではなく、その木のありのままの全てをできるだけ汲み取って、背景の歴史も含めて語って欲しい」あの時彼はそう言った。今はその気持ちが少し分かる。キサラ(かわいい耳)とアシリ(新しい若者)の話は完全に僕の創作だが、もし本当にそんな背景があったとしたら、今の僕なら、それを伝えようと思うだろう。それで売れ残ったっていいじゃないか。そうしたら最後は自分で使うよ。

******************************

あとちょっと主旨的には的外れかもしれませんが、
僕は戦争反対です。

どんなことがあってもです。

******************************

どれだけ長い間眠っていただろう。目を開けると、私はいつもの大地に立っていた。見慣れない服を着た人間が私の下で食事をしていた。誰かが誰かを呼んでいるちょっと甘えた優しい声。

「おかあさーん、見て見て」

耳がちょっと前に向いた小さな女の子がはしゃいで言った。足下に優しい熱を感じる。

「あーホントだ。葉っぱがついてる」

賢そうな瞳を持った男の子がその女の子の横でピョンピョンと跳ねて手を叩いている。

父親が近寄ってきて私を見て驚いた顔をした。

「この木は長い間、葉も花もつけなかったはずだがな」

********************************

私は・・。
手をつないで私を見上げる男の子と女の子をじっと見つめたあと、ふいに空を見上げた。

青く青く高い空がどこまでも続いていた。







0 件のコメント:

コメントを投稿