2015年5月12日火曜日

ダリは戦車に乗ってやってくる (後編)


戦車は外苑西通りを進んでいる。僕はまんじりもせず総革張りのシートに座っている。

「ところで、野田さん」

ダリが僕の方を見ずに前を向いたまま言った。

「私は今から行く私の家に2年と住まない予定だ」

低いバリトンが朗々と車内に響く。

「それでもその2年間を最上の家具に囲まれて暮らしたい」
「はい」

はいと僕は答えたが、答えてから嫌な予感がした。僕らの家具の最大上代価格がこの人に見合わなかったらどうしようという不安だ。果たしてダリは言った。

「引っ越したばかりで何も家具がない状態なので、君のデザインで全て作って欲しいのだが、特にリビングのキャビネットにこだわりたい」
「大きさは一般的なものでしょうか?」
「そうだ。腰くらいの高さで、横はそうだな・・2mほどだろうか」

何のことはない。簡単な話だ。僕は頭の中で重厚な4枚扉のリビングボードを想像した。全体イメージはゴシック。4本脚構造で、フリッチ材(KD材)を4枚も合わせれば重厚感が出るだろう。合わせ目は装飾溝で飾る。いや・・ちょっとまてよ・・。

「目安としてお伝えしておくが、私はそのボードを1000万程度で作っていただきたいと思っている」

~~~っ!!
やっぱりだ。
完全に最大上代価格が見合っていない。

ダリがC社で購入を諦めたのは、そのポイントであった。彼は100万200万程度のボードなど必要としていないのだ。僕らはフロントが販売店であるため、誤解されることも多いが、自社でデザインを起こし、設計をし、製作だけ外部工場に委ねるという歴としたメーカーである。もちろん価格を決めるのも僕らなので、そのサイズのキャビネットを作って、勝手に「はい1000万円です」と言って販売もできる。しかしそれはビジネスモラルとして許されることではない。

呆然とする僕をよそに戦車が坂を上がって行く。永遠に続く高塀がその坂に沿って続いている。こんな所にこんなマンションがあったのか・・・。

都内の超高級マンションはまず低層だ。そして、普通の人にはその入り口が分からない。人が溢れる都会の真ん中に、誰も気づかないようにして建っているものなのだ。

戦車を降りた。エレベーターの前に立つ。
頭ではめまぐるしく計算を繰り返している。今手に入る最高の素材。日本最高の匠、最高の工房、最高の彫刻家。もはやモダンやシンプルで追いつく予算ではない。デザインベースは?・・・ゴシック?バロック?いやヴィクトリアか。ブツブツ言っている僕をダリが横目で見ている。

エレベーターを降りた。玄関は一つしかない。一戸=ワンフロアなのだ。玄関ドアを開けて中に入った。軽く二部屋分はある玄関だった。ダリが言った「キャビネットは各部屋に一台づつ欲しい。その他の家具は適当に見繕ってくれ」

部屋を回った。各部屋は普通のマンションのLD分ほどの大きさで、全部で9部屋あった。ここを寝室にして、ここを書斎。ゲストルームはここか。頭の中で見積もりを立てて行く。くそっ。せめて計算機を持ってくればよかった。携帯に入力しながらそう思った。一回りして帰ってくると、ダリが言った。「いくらだ?」まあ、そう来るだろうなとは予測していた。

僕の持っている情報量はあの戦車とこのマンションと奥様の身なり・所作とダリの言ったリクエストのみだ。ダリの目。もう疑いようもない。完全に僕を試している。

「1200万から3000万です」

ダリの目が少しだけ驚きに揺れた。
今だと思った。
やっとこちらの順番が回ってきた。

「あなたのリクエストに「できません」とお断りするのも、内緒で値段を高く吊り上げるのも、僕らに取って実は簡単です。しかし、僕らの想像の及ぶ限り、そのリクエストに見合った最高の家具と空間を公平にお作りすると、その金額になります。デザインはゴシックベースで行きます」

1200万と3000万の差は彫刻や象嵌を入れるか否かの差であった。ダリが初めて笑った・・ように見えた。そして言った。

「高い方でやってくれ」

帰り道、僕は息を詰めながら長い塀の坂を下った。足がふわふわしていた。大工工事抜きで一件3000万の受注は初めてだったからだ。外苑西通りに出た。いつもの風景。僕はようやく詰めていた息を吐き出した。携帯を取り出す。

ナツ「もしもし?社長?無事ですか?」
僕「ん?なんだ?」
ナツ「だって誘拐されたって・・・」

誘拐ね。誘拐ではないけど、確かに何かを根こそぎ持ってかれたような気がする。少なくとも僕の常識の天井は完全にダリによって破壊された。くそ。いつか1000万の金額に見合うリビングボードを作ってやる。

僕「まだまだウチは大きくなるな」

そう言って携帯を切った。

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後日譚 1

あの部屋に連れて行かれたショップは僕で4人目だったそうだ。賃貸価格は300万/月。そして、ダリとは今はもう連絡が取れない。ただ、風の噂では彼はロンドンまであの時の家具を持って行ってくれたらしい。

後日譚 2

その後リーマンショックの猛威が東京を襲い、それを皮切りに東京は例のフワフワ感を失ってしまった。超のつく金持ちもどこかに消えてしまった。

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2015年現在。

僕「ダリ憶えてる?」
ナツ「あーー」
佐々木「懐かしいですね」
僕「あの時、凄い客多かったよな」
ナツ「でも、最近戻ってきてるよ」
佐々木「ですね」

そうなのだ。今、東京は再び活気を取り戻しつつある。

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そして・・。
あれから9年。
今、僕らは1000万のリビングボードを作ることができるまでに成長している。

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おしまい。




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