2015年5月13日水曜日

我南方戦線ヨリ帰還セリ



南の孤島。塹壕の脇。累々と積み上げられた死体の前で、男は友の顔を見つけた。骨まで溶けるような熱射の中、男は膝を折った。天空遥か遠く、ゴオンゴオンと爆音を轟かせてB29が飛んで行く。ああも巨大な飛行機が飛ぶのか。敵国の技術力に悪寒を憶えた。そしてあれが東京に向かっているのだ。かあさん・・どうか無事でいてくれ。少しおっちょこちょいでヤキモチやきの妻の顔を思い出した。そして妻の足に半分かくれて、出征する私を見送る娘の顔。

滝のように流れ出る汗が目にしみた。まばたきをして友の顔に目を戻す。「貴様は禿げるタイプだな、俺はきっと年をとってもふさふさだ」昨日の晩、そんな他愛もない話で笑い合った友がここに死んでいる。馬鹿。禿げるも何も貴様はこんな所で死んでしまったではないか・・。男はよろよろと友の両脇に腕を入れ、渾身の力で死体の山から引きずり出した。顔にかかる前髪をきれいに整えると、あぐらに座らせてやった。

生き残りの何人かが慌ただしく走って行く。その一人に、「貴様、撤退だ。乗り遅れるぞ」と声をかけられた。男は友の前に座り、空を見上げた。高く高く青い青い空が永遠に広がっていた。口を開けてその空をしばらく見つめた後、男は友に顔を戻し、言った。「わしは沢山敵を殺した。味方はもっと沢山殺された。」山の方から蝉の大合唱が聞こえ始めた。「もうごめんだ。わしは生きるぞ。妻と子と幸せに、平凡に、ただ暮らすのだ」その言葉を吐いた途端、男は自分の体にとてつもなく大きな気力が湧くのを憶えた。男はすっくと立ち上がった「そうじゃ。わしは生きる、生きて子供をたくさん作ってやる。死んだお前や同胞や敵国の兵隊の分まで子供をつくるぞ !!」風が吹いた。「さらば !!」男は友に背を向けて駆け出した。

その後、男は内地に戻った。東京はなんにもなかった。桜新町も文字通り何もない焼け野原が広がっていた。ようやく自分の家のあった場所を見つけた。男はそこに座り込み何日も家族の戻りを待ち続けた。

ある日、男が近くの井戸のポンプで水を汲み、痩せて疲れきった体を洗っていると、砂利道の向こうに人影が見えた。蜃気楼の中でゆらゆらと揺れる人影。小さな子供の手を引く女の姿。「あーあーあー!!!」男は声にならない声を出した。「かあさん!!」男は走り出した。女が手に持った荷物をドサリと地に落とした。「とうさーん!!」「フネ !!」抱き合った。「おとうさん・・」子供も飛びついてきた。小さな手で波平のズボンをギュウッと握った。「サザエも無事だったか」三人は砂利道の上でずっと抱き合った。

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少子化にまつわるレポートを書くために、第一次ベビーブームと第二次ベビーブームを調べていたら、「サザエさん」のサザエとカツオ(ワカメ)の年がどうして離れているか、というスレを見つけてしまい、設定では波平が戦争に出ていたからだと知った。

結局、波平のような戦争帰りの人々が第一次ベビーブームを作る(1947~8)。そして必然的にその子供たちが成人し第二次ベビーブーム(1970~75)を作るわけだ。

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波平が南方戦線で何を見たのか。あの平凡で幸せな磯野家はどうしてあんなに平凡で幸せ足り得たのか。そう考えたらどうしてもこんなショートを書きたくなってしまった。

戦争という狂気をくぐり抜けた人間が子づくりに向かう。一見すると短絡的に見えるその行為、しかし、僕は、そこに人間という生物の、底知れないダイナミズムがあるように思う。

生物のダイナミズム?難しく言うことはない。今日も僕らを動かして止まない、この大きなもの。

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それが「愛」だ。










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