2015年4月14日火曜日

椅子のことわり1 (孟の章)


B.C.540年
戦国春秋時代。

魯国の青年「孟」は頭を抱えて悩んでいた。

昨日の晩、宮中の晩餐会で美しい女に袖を引かれ、ついて行ってみるとそこは君主様の謁見室だった。布越しには魯公様( 魯国*BC1055~249・・現在の山東省南部)(25代君主*昭公)様がお座りになっていて、おっしゃるには「貴公は常々この世に作れない椅子はないと国中に言い放っているようだが、それはとても興味を引かれることだ。その話に聞き及び我も我の椅子が欲しくなった。そちが我の椅子を作れ」左右の手を前に出し、互いの袖に互いの手を差し込んだ格好の孟。おそれ平伏したままこう尋ねた。「どのような椅子をご所望でございますか」しばらくの無言の後、御簾の向こうから「象が乗っても壊れず、我が座すとたちまち気品の漂う椅子がよい」と声がした。「かしこまりました。そのような椅子をまさに作ってご覧に入れましょう」謁見室を出る際、側女が孟に耳打ちをした「昭公様はお腰がお悪い。その段もお含み置きを・・」と言って艶然と笑い、部屋の内へと戻って行った。孟は世継ぎの無い我が君をひそかに振り返り、人知れず冷や汗をかいた。

言ってみたものの孟には何の想像もつかなかった。「象が座っても壊れず、座る者に気品を与え、腰の痛みを和らげる椅子」なんと難しい注文か。孟はまず気品とは何かを考えた。線の細く流麗な形。伝説の白龍のような姿か。しかしその構造に象が乗るのだ。森羅万象の絵図でもあるまいし、流線はたちまち見るも無惨に壊れてしまうだろう。また、腰の痛みを取る椅子とは何か。灸針でも仕込むしかないのか・・。うむ、困ったことだ。ちらりと家の外を見る。戸口で赤犬が死んでいた。魯公様のご勘気に触れたら自分もあっと言う間にあのような骨を晒した姿に成り果てるだろう。

ふらふらと村をさまよう孟の頭にふと光明が射す。気狂い「丘」(キュウ)の顔を思い出したからだ。言葉の喋れないその少年は、暇があると孟の工房を訪れては、黙って孟の作業をじっと見つめ、時々孟の側にやってくると、地面に何やら幾何学的な線を書く。それは孟の知らない革新的な構造だったり、見たことのない刃物の形状だったりする。村人は丘の奇怪な行動に眉をひそめ口々に気狂いの子とあざけるが、孟はそのようには思っていなかった。むしろとんでもない神の子かもしれないと密やかに感じ入っていたのだった。今の時分なら郊外の山の麓にいるだろう。孟は早速山の麓に向かった。

果たして丘は山道の入り口にいた。木の枝を引っ張っては弾く遊びに夢中になっている。まだまだ子供よ。孟は丘の前掛けの後ろをつまんで声をかけた。魯王昭公の無理難題を説明する。丘はしばらく孟の話を聞いていたかと思ったら、孟の手を取ってやおら走り始めた。そして山中の北斜面に立ち止まり、ある立ち木を指差した。激しく息を往生させながら孟は尋ねた。「この木を使えというのか?」見るに細く華奢な木であった。孟は大きくかぶりを振った。「こんな華奢な木ではだめだ。象が乗ったら壊れてしまう」丘は首を激しく振った。孟はやむなく腰の山刀を取り出し幹に当てた。ところが引けども引けどもなかなか切れない。丘はニコニコ笑っている。数刻をかけて切断したその木の小口を見て仰天した。細い直径の中にビッシリと年輪が詰まっていたのだ。数十年いや・・数百年はあろうか。試しに腕の中で反らせてみた。固いそしてしなやかだ。「こ、これは」孟の絶句に丘が答えた。「凰花梨です」孟はふたたび仰天した。「丘が喋った・・」これを見て丘は「吾十有五にして学に志す。故に必要無きこと必要無し」と言って笑った。喋ることすら忘れ、勉学に没頭する少年「丘」・・。後の「孔子」である。

凰花梨を削り椅子を仕上げて行く孟。細く流麗な椅子が出来上がる。「丘よ見よ! この美しさと強さが同居するさまを。強さと美しさ、我々はその相反する世の理を克服したのだ」丘が嬉しそうにその椅子に座る。しかしすぐに顔をしかめる。孟に座ってみよという。孟も座って顔をしかめた。「腰の据わりが悪い・・・これでは腰の痛みで昭公様がお跡継ぎを作れない」

2人はじっと考え込んだ。腰。腰。腰。腰。すると丘がパッと顔を輝かせた。戸口の方へ走り出す。そして戸口の赤犬の死体を引きずって戻ってきた。「これこれ丘よ。気でも触れたか。それともこのような姿になることを覚悟せいと言う意味か?」丘は首を振って犬の躯に手を入れた。「よさぬか。これ丘よ」丘は犬の背骨をずるりと引き出し、椅子に立てかけた。孟の頭に落雷が落ちた。そうか。骨か。孟は丘から背骨を引き取ると何度も頷いた。椅子に腰をかけるのは肉ではない。骨なのだ。人の構造は骨にて成り立つ。つまり骨こそ椅子が支えるべき相対物なのだ。「丘、役人に言って死体見聞をさせてもらおう。なに、魯公様のお仕事だ。誰も何も言わんさ」背骨の平均値で削り出された背板を椅子の背に組み込んだ。隅木に当代流行の紋様を配し、ついにその椅子は完成した。孟と丘は抱き合って喜んだ。

魯王昭公はその椅子をいたく気に入り、その後、孟に自ら「班」という名前を与えている。魯国・・いや中国の伝説、木工の神「魯班」の誕生である。

この椅子の理屈と真理はこの数千年後、ふたたび明の時代に花開くことになる。そしてそれにとどまらず、シルクロードを通り、シノワズリという流行に乗って、ヨーロッパ中を激震させ、北欧へと流れて行く。北欧・・デンマーク。そう、魯班のことわりは、望久の時を経て、またもう一人の天才の手に渡るのだ。

A.D.1900年初頭。
とある展覧会。
一人の男が、中国から流れてきた圏椅(「クァン・イ」 通称チャイニーズチェア)という椅子の前で、せわしなくアゴを撫でている。「素晴らしい・・これは・・なんという椅子だ。まったくもってこれは奇跡だ。奇跡の椅子だ」閉館時間ギリギリまでその椅子の周りをグルグルとまわり驚嘆と好奇で感じ入るこの男。

H.J.ウェグナーである。