2015年4月4日土曜日

7社52名



桜の季節。
新入社員研修一日目。

着慣れないスーツを着た新人たちが緊張して僕を見ている。2015年、当社CROWNに入った人材だ。僕は彼らの顔を昔の自分に重ねている。

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僕の職業はインテリアショップだ。役職は代表取締役。同時にデザイナーでもある。「野田さんはどこの2代目さんですか?」と、よくいろんな人に聞かれるが、生まれついてその役職を持っていた訳ではない。この業界では割と珍しいサラリーマン出身の独立組だ。新卒と同時に総合建材メーカーに入社した。大学が長かったため、25歳でスタートした社会人生活だった。

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「右の方から自己紹介をどうぞ」
新入社員のたどたどしい言葉。緊張のあまり一人がどもってしまう。周りの人間が少し口元を緩ませるが、社長である僕は表情を変えない。

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「野田よう、俺たちは数字を作る。営業だからな。良く出来た月もダメだった月も翌月になりゃ水に流れちまう。毎月毎月毎年毎年同じことを繰り返す。なぜだと思う?」

かつて僕が新人だったころに出会った上司の言葉を思い出す。

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26歳の春。新横浜。早朝の営業所。
外は春の嵐。
強風とそれに混じる大粒の雨が、雑然と散らかった事務所の窓を激しく叩いている。

僕はフェイクレザーの安っぽいソファに腰掛けて小さくなっていた。やらかしてしまった。昨日の失態を思い出して頭を抱えた。出入り禁止になったその材木屋の社長の顔。80歳を越えているだろうか。爺様の赤紫に腫れ上がった怒りに満ちた顔。「ガキがッッ、テメーのおかげで大損だわっ出入り禁止だっっ」見積もりのミスだった。竣工寸前の12棟現場の幅木が6棟分も足りなかった。単純に掛け算のミスだ。「明日6時、野田ちゃん所長に呼び出しだってよ、殺されんぞ?」駒沢大学出身で同期の岩清水がニヤニヤして言った。

横浜営業所の所長がドアを蹴り込んで入ってきた。まず一声。「野田ァッ、何座ってんじゃおんどりゃぁ」直立。思わず頭をかばった。火のついた煙草が飛んできた。続いてバーバリーのコートが投げつけられる。「そんでもってお前はこっちじゃっ」襟首を掴まれてソファと反対側の床に文字通り投げ飛ばされた。

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フローリングからキッチンまで、およそ全ての家の部材を作るメーカーの営業マン。上場企業と言っても、営業相手は地元中小建築業者、問屋、販売店、大工、土建屋などだ。これが何を意味するかわかるだろうか。この世のすべての仕事の中でも、ひときわ気の荒い種族を相手にするということだ。当然、相手をするこちら側も同種でなければ勤まらない。所長などは最たるもので、地元では伝説の人として数えられていた。

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ショッポ(ショートホープ)に火をつけながら、ビニールソファにドカッと座った。東京本社から来た名うての荒事師が、起立する僕を足の下から睨め上げている。リーガルのウイングチップを半分脱いで、足もとでブラブラさせている。次に飛んでくるのはこのリーガルなのだろう。頭から汗がドウッと吹き出した。コナカのワゴンセールで買ったシャツの背中はすでにビッショリだ。しばらくの無言のあと、所長がガラガラした声で言った「迷惑をかけた人間を全部言ってみろ」どう答えていいのか分からずにもじもじしている僕に「もじもじしてんじゃねえっ。こっちは寝不足で疲れてんだよっ」火のような言葉が浴びせられた。すごい熱気に鼻水が出た。鼻水をすすった。「鼻をすするんじゃねぇっ」怒号がかぶさった。「えっと」「えっとじゃねぇっ」「あ・・」「あ、じゃねぇっ」一言一言が耳をつんざく太い大声だ。僕の脳は萎縮してもう何も考えられなくなっていた。意識もボンヤリしてきた。何を聞かれてるんだっけ?「迷惑かけた人間だっ」その声に我に帰った。「所長と・・」言った瞬間リーガルが飛んできた。「俺じゃねぇっっ」

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所長が今回の新築物件に関わる人間を列挙している。施主一人一人の名前から販売店の社長、番頭から新入社員まで。続いて問屋の営業部長から果ては商社の担当。驚いたのは一人一人の相関図・・それこそ家族構成からそれにまつわる人の心の機微、それぞれの会社の立ち位置と夢、そして財務状況まで完璧に把握していることだった。「以上7社52名」言い終えて所長が立ち上がった。「今から全員に頭下げてこい、いいか電話なんて使うんじゃねーぞ」そしてドア口で振り返ると最後に「お前はその仕事に関わる全ての人たちを不幸せにした。その責任を取って来い。自分を捨てて来い」と言って事務所を出て行った。ふいに肩を叩かれて振り返ると、課長がいつの間にか後ろに立っていて、僕に一枚のリストを手渡した。7社52名の住所リストだった。

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嵐の中ビニール傘を何本もダメにしながら、神奈川県内をあっちこっちかけずり回った。何度も何度も頭を下げながら、行くほうぼうで無惨に叱られた。まあまあ、次からは・・なんて言ってくれる人は誰一人いなかった。夕方になった。ぐったりとして、そして最後の材木屋。出入り禁止と叫ばれた昨日の記憶がよみがえる。何度かうろうろした末、僕は意を決して門をくぐった。

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爺様社長が庭に立っていた。「お前は出入り禁止じゃ、母屋には入るな」「大変申し訳ありませんでした」頭を下げる。「言葉なんぞどうでもいい」爺様社長がついて来いといって裏口の作業場へ歩き出した。無言で隅の置き場を顎で指した。おがくずだらけのブルーシートをめくると、例の幅木が積まれていた。12棟分キッチリ揃っていた。「え?なんで?」頭が混乱した。実は発注が間違ってなかったとか・・。いやそんなはずはない。

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「お宅の所長はな、昔ウチの担当だった。それが昨日の夜中久しぶりに飛び込んできたと思ったら、おっちゃん軽トラ貸せってわめいて、清水の工場までこいつを取りに行ってくれたんじゃ。儂もついて行った。道中いろいろ話をしたが、奴ぁ言ってた。わけぇもんの考えてることはわからん。わからん限り合わせることもできん。だったら俺のやり方を押し付けるだけだってな。お前さんはすぐ手ぇ出るじゃろって言って茶化したが、最近はモノ投げるくらいにしてるって笑ってたな」僕はうつむいた。昭和のロジックなんてついて行けねーよと頭では思ったが、この爺様と所長が深夜の東名を軽トラで走らせている様子に、なぜか心の深い所がざわついた。「儂ゃ若い頃に戻ったようで楽しかったわ。あいつとはよく軽トラに乗って営業したからの。まぁ、お前の失態とは別の話じゃがな」

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僕は口を開いた。新入社員たちはそんな僕を凝視している。

「なぜ仕事をするのか。まずはそれをはっきりさせておきたい」

僕はあの時の所長のやり方を賛美はしない。暴力教育の美化なんて死んでもするものか。だいたいやってることはヤクザまがいのマッチポンプだし、やることなすこと不器用で非合理すぎる。昭和一桁代の教育なんて時代錯誤で間違いだらけだ。

しかし・・。

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数年後、所長が本社に再転勤になった送別会。正直僕はホッとしていた。あんな人権無視の圧迫所長といっしょにいるのはこれ以上耐えられなかった。集中砲火に堪え兼ねて、同期の岩清水はとうの昔に転職していた。所長の新部署は本社の窓際だと聞いた。いい気味だ。さんざん酔いも回った所で所長に「野田ぁこっちゃ来い」と呼ばれた。「お前、あんときの7社52名を覚えてるか?」「忘れられませんよ、あれだけは」「よっしゃそれならお前は一生大丈夫だ。」みんなが騒いで飲んでいる和室の片隅。少し間を置いて所長が口を開いた。僕はあぐらから正座に座り直した。「野田よう、俺たちは数字を作る。営業だからな。良く出来た月もダメだった月も翌月になりゃ水に流れちまう。毎月毎月毎年毎年同じことを繰り返す。なぜだと思う?」

初老の所長と爺様が一人の新人のために笑いながら軽トラを走らせている景色。

「ウチの若いもんを甘やかさないでくれ、どうか叱ってやってくれ」と朝早くから電話口で頭を下げまくっている光景。

「あいつは骨がある」ブツブツ言いながら課長と2人で7社52名のリストを作っている姿。

すべて後から課長に聞いた話だ。実際見ていないのに、それらがまざまざと目の奥でフラッシュバックする。くそ、くそ、くそ!!

「自分に関わる全ての人たちを・・・」

答えかけてやめた。口にしたら陳腐になりそうだったからだ。言わされている感じも嫌だった。せめてもの抵抗だ。しかしなぜか代わりに涙がわいてきた。ぬぐってもぬぐってもあとからあとから流れ出してきた。くそっ。このままじゃ美しい送別会の風景あるあるじゃないか。所長はバカにしたように僕を見て笑っていたが、その目の奥には歴戦の勇士の深い慈しみがあった。

「所長・・ありがとうございます。お体に気をつけて下さい」

代わりにそう言った。課長が気を使って最後の一本締めを序列無視で僕にやらせてくれた。

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「なぜ仕事をするのか。まずはそれをはっきりさせておきたい。それは・・・」

そう言ったっきり黙り込んでしまった僕の前で新入社員が次の言葉を待っている。

時代錯誤で間違いだらけだ。しかし・・・あの人の中には時代を超えた太い真理があった。

「俺たちの仕事に関わる自分以外の全ての人たちを幸せにするためだ」

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僕はこの教えを二度と手放すことはないだろう。

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