2015年4月23日木曜日

政治とはなんだ?


2015.4.21

町村衆院議長の体調不良を受け、大島理森氏がそのポストに入った。そして空席となった衆院予算委員長の席に着いたのが、元官房長官の河村建夫氏だ。ニュースの顔写真を見て、僕は再び両手をギュッと握りしめた。

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3年前。
2012.6.8

上海。
僕は家具経済同友会の日中家具業界青年部交流会の代表として、その会合にいた。交流会自体はさんざんな結果だった。中国青年部の代表たちは、自社の商品をどう日本の売り込むかに終止し、文化交流および創造という根幹の話まで到達できなかったのだ。僕が事前に用意していた文化面におけるルール作り、モラル整備、そこから発展させる商交流やウェブ共同開発までを綴った構想の下書きは全部徒労に終わった。通訳が良くなかったのか、そもそも準備段階で団体同士の意思疎通が上手くいっていなかったのか、今になって言えば、それはもうどうでもいい話だ。

しかし、その時、僕にはもう一つの思惑があった。自民党の選挙対策委員長、河村建夫氏が顔を出すという情報を掴んでいたからだ。

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11年前。
2004.12

茅ヶ崎。
駅前でチラシ配りをした帰り、ヘトヘトになった僕ら3人はアスクルの回転チェアに座ってボヘーっとしていた。

ナツ「ねえ、とりあえずお店はできたけど、この先どうするの?」
僕 「わかんねー」
金澤「わかってる?こんな店、いつ潰れてもおかしくないんだよ」

AREA一号店。5坪の店。俺たちの夢。借金だらけで明日の金すらない。

僕 「日本のカッシーナ、そんなブランドになりたい」
金澤「はあ・・?」
ナツ「なりたいー」
僕 「あのな、いろいろ調べたんだけどな、カッシーナって・・」
ナツ「うんうん」
僕 「当時の国策に乗ったんだってさ」
金澤「ふーん」
僕 「当時イタリアがな、車もだめ、農業生産物も頭打ち。で、これからの製造業はデザインしかありえない、デザイン事業を発展させて輸出しようって」
ナツ「ふむふむ」
僕 「建築は輸出できない。だったらインテリアだろってさ。んで、バシャバシャその筋にお金を落とした」
ナツ「お、お金をバシャバシャ・・」
僕 「そう。だから、現在のイタリアブランド家具があるんだな。今、日本の予算細目には家具部門がないんだよ。[建築その他]に入っていて、まあ、それじゃお金は落ちてこないよな」
金澤「トヨタ、ホンダ、ソニーがあるから困ってないってことね」
僕 「うん。けど、戦後レジュームブランドは長続きしない。だからこれからは家具なんだよ、日本は。家具って言っても高級家具な。だから俺たちがその時代の一翼を担うのさ」
金澤「一翼ねー」

近所の不動産屋の女社長には「野田大砲」と言ってよくからかわれた。大きなことばっかり言うからだ。誇大妄想狂。それはそうだろう。なんせ、あの時、僕らは明日のお金すら持っていなかったのだから。あるのは、たった5坪のお店一店舗だけだった。

金澤「だったらお店を大きくしないとね」
ナツ「そうだね」
僕 「うん。だけど大きくなるということはマスに売るということだから、AREAの価格帯では売り切れないよ。島忠とか大正堂の形態を取らないと結局売上高は大きく上がらないだろうね」

思えば、当時サムソンは謎の安物家電メーカーだった。中国製品なんて単なる粗悪品だったし、誰もニトリを知らなかった。でもその当時から僕らの方向性はハッキリ違っていた。高級路線だ。売ればいいってものじゃない。何を売るかだ。デフレ状況下では非常に苦しい選択肢だったと思う。

ナツ「やだ。そんなんならやらない方がましだよ」
金澤「うん」
僕 「うん俺もやだ。その形態が悪いわけではないけど、もうすでにある形態をなぞってもしょうがないよ。そもそも俺らは安い家具なんて興味がない。だから、高級ブランドを維持しながら、会社を大きくする方法を考えてんだよ」
ナツ「うん。考えよう」

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国策というのは何か?その本質はお金だけではない。お金だけだったら経産省や国交省の補助金にでもぶら下がっていたらいい。国策とは、その予算配分なりを方向性から決めるルールそのものなのだ。そして国策に参加するということはそのルールを作る側に回るということなのだ。それができればこの国の家具の偏差値を大きく上げることができるかもしれないじゃないか。

かつてのイタリアのように、国策を引き出すためにはそれを運営している人間(政官)を巻き込まなければいけない。経団連に加盟するくらいに自社を大きくしなければ、それは叶わないのだろうか。

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僕 「例えば家具業界にお偉いさんが集まる円卓があるとする。そこからなんとかならないかな。つまり政治家に近づく機会を作って、陳情するんだよ」
ナツ「そんな団体聞いたことないなー」
僕 「きっとあるよ。俺はそこに入りたいな」
金澤「それは政治だよ」
僕 「政治だね」
金澤「政治はやだなー」
ナツ「え?立候補するの?」
僕 「違うってこの業界の政治。うん、でもやめとくわ」

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その後、僕らの会社はトントン拍子に大きくなっていった。
忙しい毎日が過ぎて行く。

政治。国策。
それでもこの単語は僕の頭から離れることがなかった。

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そして、
僕は数奇なルートから家具経済同友会という家具経済団体に入ることになる。

僕がI+STYLERSの社長(兼AREA社長)時代、その株主であった福井のメーカーの小林社長(マルイチセーリングの現会長)にフランスベッド社長を紹介された。「野田君さー、家具なんかだめだよー、売れる時代じゃないよな。国策?大きなこと言ってんねー。そんなにやりたいならさー口聞いてやるよ。家具経済同友会って知ってる?」隣にいた合力部長にヒソッと耳打ちされた。「やけに気に入られたね」

あった。
ナツ、金澤。
お偉いさんが集まる円卓があったぞ。
そしてその入り口を・・。
今、掴んだぞ・・・。

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政治と経済。つまり、業界に置ける政治活動と自社事業は僕の仕事の両輪だ。しかし家具経済同友会の活動をこのブログで言及しない。同友会は同友会でたくさんの問題を抱えている。それは、ブログに書いていいものかどうかの、モラルギリギリに位置する問題なのだ。しかし、いずれどこかでお話をしたいとは思っている。

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4年前。
2011.7.31

僕は朝のTVニュースに釘付けになっていた。
タイの大洪水の映像。
タイの国民に心を痛めた。
が、
釘付けになった理由はそこではなかった。

水没する大量の日本車。

前後の意味なんてない。
僕は本能的に思った。
汗ばんだ手をギュッと握りしめた。

「もう車じゃない。日本は車や家電だけじゃだめだ」

家具だ。
家具を国策の柱にするんだ。

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偏差値についてもう少し書く。

日本の家具流通高は約2兆円。そのうち3000億以上がニトリ一社の売上高で、日本のシェアの15%以上を占めている。定義は難しいが、日本人の家具偏差値があるとしたら、ニトリがその偏差値50に位置するということになる。つまり大まかに言えば、日本人の家具概念はイコール、ニトリなのだ。

別にニトリが悪いわけではない。しかし、その真逆に位置していて、綱引き相手になる高級家具屋はどこに行った?大塚はメーカー商品仕入れ型の販売店だ。つまり、オリジナルブランドではなく、単なるメーカーの拡声器だ。ちなみにメーカー本体がレベルの高い自社商品を用いて海外で成功している例はいくつかある。山中社長(マルニ)の「Hiroshima」がいい例だ。現地でのB to Cのノウハウがまだ足りないが、きっと今後も大きくなって行くことだろう。

しかし・・自社開発商品を擁する高級販売店ブランドはどこにある?百貨店は未だにABC(アルフレックス、B&B、カッシーナ)だ。そこに対抗できる日本のブランドを一刻も早く作らなくてはいけない。そう考えたらACTUSやAREAやTime & の類いが世界に出て行くしかないだろう。

イタリア人全てがカッシーナを使っているわけではない。フランス人全員がロッシュボボアを使っているわけではない。多くはIKEAを使っているだろう。しかし、例えば、ソファの値段って普通いくらする?という規定値観念は日本に比べて桁違いに高い。もちろんこの考え方は家具の値段が高ければいいという考え方だけで結論づけているのではない。しかし、良い家具は良い素材、作り、デザインに支えられている。値段の高い家具が全て良質な家具であるわけではないが、良質な家具はすべからく値段が高いのである。僕は、この点における日本人の審美眼を、もっと上方に高めたいのだ。

これも僕の誇大妄想なのだろうか?

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再び・・3年前。
2012.6.8

河村健夫がSPやその他取り巻きと距離を取った。
背中がビリッと震えた。
ずっとそのチャンスを伺っていた。

「やめなさい。不謹慎だ。会長の頭越しに・・・」

隣の男(誰とは書きません。本人様、読んでいたらすみません)が僕の肩を掴んだ。僕は掴まれた腕を乱暴に振ってその男を睨んだ。その業界の重鎮は黙って目を逸らせた。あるジャーナリストには僕のiPhoneを渡してあった。その人に目配せをする。その人が遠くで頷いた。席を立った。人をかき分けて、僕は河村氏の前に立った。

「家具経済同友会理事・青年部会長の野田と申します。少しお話を聞いてください」
「はい。もちろんですよ」
河村氏はニコニコと応じてくれた。

「僕は日本の経済発展のために家具を国策の柱にするべきだと思っています。輸出ができて、日本の文化デザインを多く含み、なおかつ車並みの一台単価を持つもの。そのようなモノはなかなか存在しないのではないでしょうか。富士山、芸者のような郷愁のお土産品ではないMade in Japan、例えばレクサスのような高価なプロダクトを作ってアジア欧米に販売したいと思っています。僕はその家具という国策の柱作りに有識者として参加したい」

茅ヶ崎でナツと金澤によもやま話をしてから8年間、僕はずっと考えてきた。頭の中で何度も推敲してきた。淀みない言葉がどんどん出てきた。河村氏はその勢いにちょっとビックリしたようだったが、だんだん前のめりになってきた。一通り話しを聞いたあとこう言った。

「おっしゃる通りだ。ぜひやりましょう」

がんばってくださいではない。
やりましょうと言ってくれた。

そして、その場で実に細かい戦略を伝授していただいた。ここには書けないことばかりだが。

そして、最後に河村氏は秘書を呼んで、こう言った。

「官僚の若手との勉強会を取り持ってください。この人には何かある」

手を差し出されて、僕はその手を握った。

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何かある・・。
河村氏が言った言葉は選挙対策委員長として言ったのか、社交辞令で言ってくれたのか、本心でそう言ってくれたのかは知らない。元官房長官に「この人には何ある」と言われればそりゃ誰だって嬉しい。でも本質的には、そんな事はどうでもいい。僕個人が何かなんて関係ない。僕に取って大事なのは、自分のゴールに至る道にあるドアがまた一つ開いたという事実だった。

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その後太田昭宏大臣とも交流持つに至り、今、僕の政治活動は一歩一歩進んでいる。この詳細も書けないが、家具経済同友会からも外れて進んでいるその施策は、日本家具業界の未来にとって、いずれ大きく形になっていくだろう。

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最後に、僕がここで訴えたいことをもう一度繰り返しておきたい。

僕は
「国産家具を日本の国策の柱にしたい」

そうすることで、一企業ではなし得ない大きな流れをこの国に作りたい。上質な家具文化をこの国に浸透させたい。海外の人々に、その家具を通して日本という国のハイクォリティな文化を知ってもらいたい。そしてその結果として、僕たちや僕たちと同じ意思を共にする同業他社の連合で、世界ビジネスを成功させたい。

はあ。また長々と書いてしまったな・・。


これを読んでくれている皆様にお願いがあります。

AREAファンの皆様。
POLISファンの皆様。
家具メーカーの皆様。
同業販売店の皆様。
当社社員のみんな。

「僕に力を貸して下さい」

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金澤「それは政治だよ」
僕 「政治だね」
金澤「政治はやだなー」
ナツ「え?立候補するの?」
僕 「違うってこの業界の政治。うん、でもやめとくわ」

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政治とはなんだ?

今日も僕はそんなことを考えて自分の分厚い手を見つめる。もうすでに政治にドップリ浸かっている自分の両手を。

「やるよ。やるさ。」

もう誰にも任せない。
僕がやる。